知るか
作品を取り扱ってもらっているギャラリーに「契約を止めたい」という話をした。大学を出て数年あまり地道に展示を繰り返して、機会と縁があってやっとそれにこぎつけたのだが、今後の制作やプロモーション活動に身が入らなくなってしまったことを正直に話した。やっと得た環境を自分から手放す決断をして、ギャラリーの人も僕の言葉を尊重してくれて、また手が動くようになったらいつでも作品を見せてください、とまで言ってくれてありがたかった。ずっと心の奥をせき止めていたものが流れ出したような感じがあった。酒がいつもより美味かった。
中途半端なことをするくらいならやらない方がいい。格好つけた言い方をするとこうだが、本音で言えばイライラして腹が立ってくるので、適当なものを世に出したくないのだ。僕の目は割とよく見えるので、「埃ついてませんか?」「ここ、気になりますね」みたいなことを言われるとき、大体は自分でも気がつく。気づいておきながらそれをやるということは、妥協したかまたは時間がなかったかのどちらかで、こういうのは詰まるところ「諦め」なのである。
「え、分かってて気付かないふりしてるなんて最悪じゃないか!」という声も聞こえてきそうだが、制作をしているとそういうこともある。もっというと仕事になれば毎日妥協の連続である。もっと上手く綺麗にできたのに、金銭的技術的な問題が起こることもある。
有名な作家の制作風景とかを見ていると、我々には”一切妥協しない姿勢”こそが創作の道であって、作品を作る人はみんなそういう存在であるべきなのだと誤解が与えられるが、実際はそういう甘さをどれだけなくせるかの勝負だ。甘さをなくすというのは、寝転んでだらだらと携帯の画面なんかを見るのをやめ、自分に発破をかけて机に向かえるかどうかで、要するに自分との約束をどのくらい守れるか、ということに近い。
だから諸々の指摘は「諦めたんですか?」ということと同義(少なくとも僕にとっては)で、「できるのにやらなかった怠慢を人に見せても何とも感じないような性格をしているばかりか、それでやり過ごせると思ってるんですね」と言われているような気になってくるから、それは否定したいのである。実際、諦めざるを得ないこともたまにはあるのだが、よく知りもしない人に「雑だ」とか「下手だ」とか思われていたら癪だから、限界まで自分のできることは試したい。「これで出し切った」「ここまでやった」という実感を求めているのである。
…でも、これからは、自分の作品たちに対して自信を持ってプロモーションできる気がしなくなったから、やめた。僕のレベルが低いみたいなことはあっても、技術も含めその時自分が考えられることは全て試さないと。僕は頭が硬すぎるくらいのクソ真面目だけが取り柄なのに、自分が一番充実感を得られることをなあなあにしていたら、なにか借金取りに追いかけられているみたいな罪悪感と向き合って生きていくことになる…そっちの方がストレスだと思った。
こういう契約にこぎつけるまでの間、作品を作って欲しいとか設置して欲しいという話をもらうこともあったが、お金の話になって頓挫したり、作品の形式が合わなかったりしてほとんど実現しなかった。「夢で飯は食えない」みたいな言い方をするが、特に世の中に合わせて売れそうなものを狙って作ったりしているわけでもないため、生活するために仕事をせざるを得ない状況がある。
ある時、割と有名な業界関係者の人に作品を褒められて、作品の購入やら販売契約やらを持ちかけられたことがあった。簡単なテーマとか技術的な説明をしたあと、今どうやって生計を立てているのかと訊かれたので、正直に「仕事をしながら制作している」と答えた。するとその瞬間に相手の表情が一転して曇り、作家一本でやっていくという覚悟が見えないから一緒にやっていくことは難しい、と言われ、話自体なかったことになった。
言っていることは確かに分かるのだが、もし僕が本当に発起して作品以外の収入を絶って、あらゆる支払いが滞り材料も手に入れられず食うに困ったとしてもその人は飯を食わせてはくれないだろう。自分の決断の責任は自分で負うしかなくて、自分でやりたいことのために自身の現在地を長い目で見て、金を稼ぎながら制作を続ける方法を自分で選んだ(覚悟がなかったのも事実)ので、生活のどうこうまで口を挟まれるいわれはないんじゃないかと思う。あそこで「わかりました仕事やめます」なんて踏ん切りをつけていたら違う未来があったのかもしれないが…まあ、考えが合わなかったのだと思う。
初めから縁なんてなかったろうにわずかに期待の匂いがして、誘われていったら「やっぱりだめですね」みたいな話、僕が経験しただけでも他にいくつもある。突拍子もない褒めに心が弾んでも、それがその後具体的ななにかに繋がることはなく、時にはトラブルになることだってあって、そういう言葉に反応するだけ無駄な気がしている。多分、相手が言っていることは本当だし、作品を気に入ってもらえているのも本当なんだろうけど、期待ばかり持ちかけられても困る。「期待する方が悪い」んだろうが、表面だけの社交辞令みたいなのはやっぱりどうしても好きになれない。
まだ僕もそれなりに元気があった頃で、そのあと悔しくなって友人を酒に誘ってさんざんクダを巻き、そんなの、こっちから断ってやれよ、と背中を叩かれたところようやく溜飲が下がった。熱くなりやすいくせに単純なもので、何杯か飲んだら忘れた。
多分俳優とかアイドルとか、漫画家とかミュージシャンの類も同じようなことを死ぬほど経験しているんだと思う。なにかの表現活動をするとなると、センスだの才能だのの前にその一番大事な制作作業以外の「非常に面倒なこと」を並行して考えるはめになる。…なんで?またこの「非常に面倒なこと」が、本当に面倒くさくできているのである(良い作品を作るより、これをどうやって乗り越えるかの方が重要なのだ)。
制作は本質的には、自分が自分のやっていることを好きでいたいからだし、興味を持った分野や対象に夢中になっている時間に幸せがあって、ときには意地になってまでやりたいと思うことでもあるから、これをお金とか利益と絡めること自体、考えが歪んでいるのかもしれない。作家は清貧で、不器用に純粋に生きているもの…そういうイメージを期待されているような、そういう願望を向けられているような気もする。決して金儲けに走ることなく、ギリギリの生活をしながらそれでも誠実に自分の表現と向き合っていてほしい、みたいな願望である。
金銭忌避思想っぽい期待をかけておきながら、作品には高いレバレッジをかけて取引きを目論むのを見かけると本当によくわからなくなる。作品じゃなくてイメージを買っているのだろうか。作家も作品も高級ブランドみたいになって、せっかく大量生産技術が頑張って近代以前の階級社会をバラしたのに、また同じことが繰り返されるらしい。
こういう資本の問題は大きいから、芸術だけじゃなく社会全体を取り巻いているし、お金がないと発展が得られず、競争が生まれないし人も集まらない。僕だってお金は欲しいから一概に「金が悪い」とも言いづらい。単純に「良い芸術」みたいに語られているものが作られた時代と、現代とでは構造にギャップがあって、僕みたいなのは前者に夢を見すぎているから前時代に取り残されてしまっているんだと思う。なんだかふわっとした作り手の神話っぽい言葉に呪われて、自ら選んで非合理な道を歩いている。
「アーティストには貧乏で不器用で、それでも頑張っていてほしい」みたいなことを言う割に、なぜアーティストに金がないのかは理解されていない。そもそも金のために働いていないからだ。金を稼ぐことより制作のほうがよっぽど楽しいからだ。誠実みたいなことを言われても、生きていても他に楽しいことがそれしかないのだ。ただ目的が違うだけだから、苦しんででも表現に向き合うべきみたいな理想は作家じゃなくて周りの人間が作ったのだと思う。…あとついでに言うと「産みの苦しみ」みたいな言葉も、多分産んだことない人が作ったと思う。
少なくとも僕の人生の目標は「幸せでいる」ことで、それが金を稼ぐより、制作していることで達成される可能性が高いと思ったからそれを優先しているだけで、それが制作じゃなくなるんならやめる(だからやめてた)...ただそれだけなのだ。もし自分が資本的な価値観の上でどうにかなりたいと思っているんだったら、創作だけはマジでやめたほうがいいと思う。コスパが悪すぎる。芸術のことを一から学ぶより、不動産か株の勉強をする方がいい。
資本的な本質を見たら、創作で生きていくのは宝くじを買うようなものに近い。それは確率的などうこうではなくて、当たるかどうかわからないが、抽選結果が出るまでは少なくとも夢を持っていられるという意味だ。例えば僕が死のうとしているとして、もし宝くじが手元にあったら少なくとも結果発表くらいまでは生きておこうかと思う。外れたのを確認してから死ねばいい。そういう「生きておこうかな」と思えるような期待を未来に持ち続けることに近い。
要するに、現実は疲れすぎて、まるで神様に救いを求めるみたいなものだから、何かを考え始めたらそれに縋っていないと他に楽しいことも特にないので、完成するまでは頑張って生きるか…というようなモチベーションである。そうでもないと、もう自分がもしかしたらあともう30年近く生きるかもしれないという事実に耐えられない。
作家活動に幸せみたいなものを求めると、snsはドーパミンで気が狂うからやりたくないし、展示はしたいが色々言われるのも面倒だから在廊もしたくないという気持ちが芽生えてきて、わがままばかりでまったく終わっているなと自分で思う。人に見せる意欲もなくなっていって、そういう気持ちと闘いながらやらないといけないなら、会社に勤めてサラリーマンをやっていた時の方がマシだ。
制作それ自体よりも人間関係とか、なに言われたとか言ったとか、そういうことを気にしすぎていて心が削られて自信を失って、自分のことがなにもできないままこうやって…なんか、え?俺、何のために生きてんの?ここでやめたら、自然淘汰?せっかく一応ここまでやってきたのに、めんどくささのために全部捨てるなんてさすがにもったいない。
制作は自分のためにするものだと言うが、いろんな人間の思惑や理想を間に受けていたらとても続けられない。自分がどんな人を目標にするかとか、どうやって世に出るかみたいなことを学生の頃から当たり前のように語ってきたけど、いや…そうじゃなくて、自分がやっていきたいことって、まず世に出られなかったらほんとにできないの?人からたくさん見てもらわなかったらできないの?作品作るって…ほんとにそんな閉鎖的な可能性しか残されてないの?人生のいくつかの選択の中で、自分がいた環境の周りにいた人とは違う少数派な道を選び続けて、わざわざ「競わない生存戦略」を選んできて今があるのに、今更誰かの真似をしようとして、背中を追いかけて…それで本当に幸せでいられるのか?
展示に来てくれる人に(これは普通にありがたい)どういう気持ちで作っているのかとか聞かれると、多分分かりやすいように、納得してもらうためになんとなく言葉にして伝えようとしすぎて、そんなもん自分だって分からないのに分からないまま喋り、言葉が迷路に迷い込んで全員の頭の上に「?」が浮かぶアホの状況になるんだったら、なんか理解は得られないけれども、せめて自分だけでも確信に近いものがあるほうがまだ救えるというか…「これはどういう作品なんですか?」と訊かれて、あまりにも答えすぎているが、正直…わからん。いつも思いつく理由を並べてるだけで、多分自分で一回もわかったことない気がする。なんかアイデアが降りてきちゃってとか、作りたかったからとか…そんな理由しか思いつかないだろ。
いつからそんなふうに、頭の良いフリするようになってんだか!
芸術が自由だ、みたいなこと言ってるの誰だ
インターネットである作品公募を見つけた。4,000字程度のエッセイを募集しているらしい。いつもこのブログで書く記事がだいたい平均して4,000字くらいだから、ちょうど良さそうだと思った。賞金も出るらしい。時々身体を起こせなくなりながら、自分で書いた文を何度も読み返し、やっとの思いで仕上げた。
…端的にいうと普通に審査には落ちた。「受賞者には結果を郵送します」と書いてあって、ポストを確認してもそれはいつまでも届かず、熱が冷めた頃になって公募のホームページに発表が更新されているのを見つけた。
公募に作品を出すのも落選も別に初めてではない。いままでアートのコンペにいくつも出してきたし、それこそ学生の頃なんて、残念な結果に終わって肩を落とすのも、自分自身が否定されたような悔しさに身を焼かれるのももう感覚が麻痺するほど経験した。賞金や名誉がわずかに頭をよぎってしまう自分が不純な気がして、後ろめたさがあるうちは自分は賞レースをやるべきではないと思うに至って、それで公募とは距離を置いた。優秀賞的なものの類とは一度も縁がない。だから軽い気持ちで、今の自分を試すつもりで書いて…しかも今までやってきた制作の内容とは違う文章での挑戦だったわけで、そんなに最初からうまくいくはずないと自分に言い聞かせ期待せずにいたものの、実際結果を突きつけられたらやっぱり落ち込んだ。
誰しもが「数打てばいつかは」みたいな感じでやっているわけはなくて、一言一言頭を捻って何度も見直しをして、自分が出せる言葉を出し切っているつもりなのだから悔しくないわけはない。わざわざこんなこと言うのも野暮だがうっすら自信があるから読んでもらいたいと思うわけである。僕は自分の文章が好きだから書いているし、少なくとも自分の美術の作品の長ったらしいコンセプト文よりかは面白いと思っている。時々見返すことだってある。自分では良いんじゃないかと思っているから、不定期ではあるが書き続けている。
趣味でもなんでも、文章を書いている人間は大体「こいつはなんだかひと味違うぞ」と思われたいのだと思う。じゃなかったらわざわざ頭の中の妄想や偏見を公開する必要がない。一番は書くことが楽しいからではあるが、なんとなく自分の感じたものが世界で一番良い気がするからなにかを書いて残しておきたいと思うのだし、作品にしても、心のどこかで「自分は今世の中にあるものよりかっこいいものが作れる」または「作りたい」と思っているから、わざわざこんなめんどくさいことに心血を注いでいる。
ただ、どれだけ苦心しようが時間がかかってようが、結果は一瞬で出る。それも残酷なほどに明確である。そして選ばれたものだけが世に出る。選ばれなかった理由を教えてもらえるわけでもなく、特にどうだったか講評があるわけでもないし、どうしたら良くなるかというアドバイスもない。同情されて励まされたとしても、せいぜい飲み会で慰めのネタになるくらいで自分の作品が良くなりはしない。「一生懸命やってるのに評価されない」なんて泣き言をいちいちこぼしている場合ではないのである。
芸術や表現活動が自由で、なんでも受け入れてくれて、そして勝ち負けも優劣もない平等な世界だ、みたいなイメージはどこから湧いてくるのか、時々疑問に思うことがある。…全くそんなことない。僕は芸術の世界にもかなり厳しい優劣を感じるし、もっと言うと正解不正解だってあると思う。
正確には「表現自体は好き勝手にやればいいが、それを人に見せるとなったら自由ではなくなる」のである。部屋で1人で妄想して紙に好きな絵を描くくらいだったら何をしても良い。自由である。ただ、それが他人を介するようになった瞬間に色々なことを考えなければならなくなる。
なぜ美大組織があるのかというと、僕が思うに多角的な視点というのを受け入れるためだと思う。数ヶ月に一回くらいの作品講評で「自分が思っていることが相手もそう思っているとは限らない」ということを、教授や同級生にメンタルをボコボコにされることで学ぶ。叩き込まれる。そのためだけに行く場所だと言っていいと思う。ただ、創作においてはこれが一番大事なことで、制作していたら社会の問題に鋭く切れ込むことがあるかもしれないし、自分の作ったものが批判される可能性だって当然あるわけで、そういうセンシティブな内容における発言の仕方とか、感情や私見でない客観的な物事の語り方扱い方を試行錯誤し、なんとか自分の言いたいわがままを通す努力をするのだ。
今の世の中を見てみれば、いわゆる趣味の延長で描いた絵がネットに公開されて誰かの逆鱗に触れあり得ない炎上をするとか、どう考えても適切ではないものを「表現の自由」だと権利を振りかざして主張を通す様から、その重要さは明らかだと思う。「やったらいけないこと」とか「やらないほうがいいこと」をそのまま大声で叫んだら反感を買うに決まっている。
だから、今作品において重要なのは質や内容よりもその見せ方とパフォーマンスになっていて、SNSを使うのは確かに簡単だけど、誰もが気軽に始められるメディアはそういうリテラシーの部分で色々なことを考えないといけない場合がある。単なる投稿の内容に限らず、言葉の使い方とか運用の方が重要だし、トラブルの立ち回り次第でも活動内容に関係なく称賛、あるいは石を投げられる可能性にさらされている。がんばっているのならそれなりに良い作品を作っていることは大前提。作家だって人気商売で、まるでアイドルみたいに名前を売っている(この問題については色々なアーティストがテーマにしている)。
作品というのは作家自身の持っている感性、造形力、構成力、視点、知識や教養など…備わった能力を見せつける性質を持っている。作品に向けられる「かっこいい」「美しい」「面白い」などという諸々の形容詞には対象性があるわけなので、美術をはじめとした作品の世界は比較と評価で溢れている。そういう世界にあって「勝ち負けも正解もない」とか言っているのを聞くと僕はものすごい違和を感じる。かっこいい、美しい、面白いということは「そうではない」ものがあるということだし、選ばれるものがあるということは選ばれなかったものも同時に生んでいる。
例えばコンテスト形式で審査されて、今回はダメだったけど別に負けじゃないよ、とか言われてもそれはズレていると思う。どう考えても選ばれないより選ばれた方がいいと思うし、それを目指した結果こういうものに応募してるんだから、採点され評価がつけられているという事実は明らかだ。
まずアカデミックがものすごい倍率の世界で、「誰か」よりも「良い」ものを作って描かないと美大に入れない。そもそも創作の世界が「良いものを作る」を目指すならその本質は価値更新にあって、過去を否定まではせずとも上書きの必要がある。自分がどんなスタンスで制作に取り組んでいようともそういう世界だし、もうそういう職業なのだと諦めるしかない。こういう優劣の価値観がぷんぷん香ったまま「ありのまま」とか「自由」みたいなことをこの業界で語るのはかなり厳しい。
センスとか才能と呼ばれるものがそのまま「戦闘力」に置き換わるような世界で、世の中の創作物と目が合った瞬間にすぐ能力バトルが始まるから気が抜けない。こいつはすごいとか大したことないみたいなこと…みんなはっきり言わないけど、結構思っていたりするんじゃないのか。
そして僕は小さい頃からこういう順位づけの社会の構造に負け続け、それがめちゃくちゃ嫌になって美術の世界を目指したのに、いつの間にか自分もそういうものを気にする(させられる)ようになって、気付いたらしっかり競争に参加していたというわけだ。
なぜコンテストに応募するかというと、世の中はレースに勝った作品や人物を過剰に評価する傾向が強く、それが「ある」のと「ない」のでは大きな差があるからである。特に日本人は肩書きに弱くて、しかもみんなそれをよく分かっている。本人が実際何をしているかとか関係なく「なんか凄い人なんですね」というありがたい評価をつけてもらえる。だからコンテストが一番手っ取り早い。
美大の講評というのは言ってみれば近代以前の絵画の品評会の真似事だ。みんな自分なりの「良い」を目指しているはずがなぜか同じ基準の上に基づいて審査を受け、しかもそれが正当ということになっていて受け入れざるを得ない。大体入学後半年〜1年くらいでそれを思い知らされて、もう評価を求めるのをやめ開き直るか、どうしたら選ばれるかを真剣に考えるかのどちらかになる。大きく言って「芸術は勝ち負けじゃない」という派と「迎合してのし上がる」派に分かれる。言ってみればリベラルとコンサバみたいなもので、権威から否定されることが多ければ自由主義に向かうのだろうし、権威から口利きしてもらえれば保守的な思想になる。
芸術には、「マイノリティが虐げられて美術の領域に逃げ込み、ものすごい頑張りで革命を起こす」みたいな清貧で勤勉なイメージがあるが、実際はその「虐げられたマイノリティ」たちも美術の領域の中でマジョリティを形成し権威化する。評価づけを促す派閥や団体もその構造形成に一役買っていてそういう価値観もイメージもなぜかなくならない。「選ばれたかどうか」で人からの評価というものも大いに変わるし、作品にいくらの値がついたとか、どこで展示をしたとか誰とコラボレーションしたとかも同様で、自分がいかに社会的に必要とされているか、優秀であるかを語るための舞台装置になっている。
売れている人も「やりたいことをやるためにまず売れた」みたいなことを平然と言う。なぜ作品を作っていくのに「売れる必要がある」のか本当に謎なのだが、売れないと誰も話なんか聞いてくれない。しかもこれは逆説的に「売れること自体には意味がない」と「売れた人」が言っているようなものである。例えば「人気者になりたくて」とか「大勢の前に立ちたい」みたいな理由で創作活動をするなら「売れる」ことを目的に制作をするのは一見正しい気もする。でも、正しいと思うことをしたいとか世界を良くしたいみたいな純粋な想いよりも前に「売れる」が必要になっているこの世界って、一体なんなんだろう。
もし、評価をもたなくて「評価されてないからダメな奴」と思われてしまうのだとしたら、それは大きな間違いだ。ついでに自分がもしもそう思われていたらめちゃくちゃ癪に障る。「良いものって何」みたいな悩みは尽きないが、なにを良いと思うかは人によって違うのに、なぜそれを作ること自体よりも誰かからもらう勲章のために闘わないといけないんだろう。百歩譲って闘わないといけないとしたって、そもそも闘う必要ってあるか?
僕は現にそうなってしまって精神をおかしくしたが、少なくとも今僕の周りにいる友人たちは好きに生きて、全員息を呑むくらい純粋で見ていて大変清々しく、格好がよろしい。まったく世の中は、アーティストと呼ばれる人間が全員資本主義的な価値観を目指して活動しているとでも思っているんだろうか。人より資産を得てのんびり裕福な暮らしでもすることだけが成功?作家を名乗るなら「売れて」いないと、「有名」でなければ価値がないと…本気でそんなふうに思っているんだろうか。
「力のあるアーティスト」みたいな文句を業界の人間が使うのを、僕は今までに何度も見たし聞いた。力のある、って何だよ。苦しくてもなんとか制作続けて、発表して、燃やし続けて…みんな力があるに決まってるだろ。そして、こういう飾りみたいな成功への馬鹿げた呪いが何人の作家人生を終わらせたんだろう。売れて有名であること以外成功じゃないみたいな短絡的な考え、一体誰が何のために植え付けるのか?
僕は基本的にはやっぱり芸術が好きで、この数年間もう何度も制作はやめようと思ったけど、芸術のことを考えている時だけが楽しくて、制作している時だけが時間を忘れられて、あとは本当に何もない、暇な人間なんだと分かった。それ以外、生きていて楽しいことがない。
なぜ、誰かにお伺いを立てて評価を受けないと作品のひとつも広められないのか?「いや、ブログとかSNSとかあるじゃないですか」と言っても、それらにはフォロワーとかいうのがいて、結局運用をちゃんと考えなかったらアクセスなんか微塵も伸びやしないのだ。偏屈なことを妄想して薄暗い部屋で1人でニヤリと笑っているくらいにしておくのが一番楽しいのに、どうして誰かに見せると良いとか悪いとかいう話になるのか。そして、どうして僕はそういう仕組みの中にいて、いちいち数字とかを気にして「どういうのを書いたら作ったらウケるか」とか思ってしまうのか。とても面倒くさい。全くやってられない。評価のことなんて考えたくない…考えないとダメなのか?
評価を度外視するなら比較の対象は自分に向けるしかない。自分が行きたい場所にどのくらい近付いたかみたいな話をする以外、健全な制作は有り得ない。でも、そういうスタンスは鑑賞者を受け入れる余地を作りづらい。自己満足でやるならそもそもなぜ人に見せるのかという話になるし、説明の必要性も揺らぐ。究極の自己満足は究極の自己防衛にはなるが、それは孤独である。
どうせ「いいね」なんかついてもどうにもならないし、もしこういう評価とか審査みたいなことから完全に解き放たれる世界にいられたらいいのに。
公募だのSNSだの、なんでこんな面倒なことしなきゃいけないんだと思いつつ「だから絶対に認めさせてやりたい」みたいな…さすがに20代みたいなギラついた気持ちも持ちようがないけど、このまま深海魚で終わるのもな…と思った。
蒸し暑くてイライラしてたのかもしれない。夏の夜だから。
プランタジア
紫蘇とバジルの葉と、それからローズマリーを少し譲ってもらった。たまに料理に使うことがあるのでありがたかった。茎がついている状態で、水につけておくとしばらく萎れずに日持ちするとのことだったので、ペットボトルの底を切って水を溜め、茎を浸けて置いておいたところ、ひょろっとした白い髭が生えてきた。…根っこだ。
甲斐甲斐しく水を入れ替えたり、気に入りそうな場所を探ってあちこち移動させたりしているうちに、なんだか情が湧いてきてしまった。髭がどんどん伸びて枝分かれして、何本も生えてくるのを観察しているのがここ数年で一番楽しく感じた。鉢と土を買いに行って、灼熱のベランダでダラダラ汗をかきながら挿し木してやると、なんともいえない充実した気持ちになった。なんだか葉をプチンと貰うのも悪い気がしてきてしまい、それから奴らは、うちのよく日の当たる場所で毎日ぐんぐん大きくなり続けている。
調べてみたら、紫蘇もバジルもローズマリーもかなり挿し木しやすい種類らしい。生命力が強く初心者向きだと書いてあった。図らずも初めて植物を育てることになったわけなのだがうまくいって良かったと思う。
考えてみると、切った茎や枝から根が生えてくるというのは不思議なことだ。トカゲみたいに欠損した細胞を再生する能力を持った生き物はいくつか存在するが、再生は再生であって、切れた腕から頭を生やすみたいなことはできない。再生というのは「もとの細胞と同じ細胞に完全に置き換える」ということらしい。人間も一応指を切ったりすれば傷は塞がりはするものの、これ自体は「治癒」なので、傷が完全に修復・復元されるわけではなく傷跡も残ってしまう場合がほとんどであるから、元と同じ細胞に置き換わっているわけではないのである。
人間の身体は60兆もの細胞から成り立っているそうだ。それらが一つの受精卵から1→2、2→4、4→8…というように倍の倍に胚分裂して、僕たちの指の爪から、眼や骨や内臓、髪の毛の一本に至るまで、塩基配列が作る暗号に従って形作られているのである。
その過程で、ある胚が「俺はもうここから心臓になるわ」「私は右の腿の骨に」などと言って各々進路を決め合って複雑な身体を構成していくことになる。これを「分化(特殊化)」という。分化した細胞というのは一度進路を決めたらもう元に戻ることはできない不可逆性をもっていて、例えば一度脳細胞になることを決めた細胞が「やっぱ俺って脳向いてないからやめた」と別の細胞に転職することはできないらしい。一度決まってしまうともうそれ以外になれないということは、右腕に左腕から細胞を移植しても左腕にしかならず、もし本人の細胞を培養したとしても再生を促すことはできないのである。だから人間は怪我をしたり病気をしたりすると大変で、欠損した部分を修復再生するのは未だに漫画や映画の世界の中だけの話なのだ。
…しかし、数年前に世間を騒がせた「ES細胞」や「IPS細胞」というのは、この分化細胞を培養して異常のある細胞部位に健常な細胞を移植し、例えば欠損した四肢を再生させるとか、失明した人の視力を回復させるとか、もしも一般医療に普及できるレベルまで実用化されれば、それこそ老化細胞すら移植してしまえば寿命さえも超えられるんじゃないかというくらいの、めちゃくちゃに凄い(ある意味ヤバい)発見だったのである。
現在分化生物学に関わるバイオテクノロジー分野というのは日夜ものすごいスピードで発見と進展が繰り返されているそうだが、それと同時に(僕も詳しくは難しくてわからないのだが)、例えばES細胞というのは受精卵の段階で分化を予測?するために生命倫理的な議論が絶対に必要で、一応受精卵というのは新しい命なわけなので、それを移植して医療に役立てようというのはどうなのか?みたいなことを哲学やら倫理学やらの人文学と丁寧にすり合わせなければならない。
SF映画「ガタカ」みたいに、どっかの金持ちが優秀な遺伝子だけを選んでハイスペックな子供を産み出す実験に、人間は技術的にはもう完全に追いついているらしいが、それは同時に人間としてなにか決定的なものを否定することになるのではないかということで批判もされている。多分、ルックスよく、頭脳明晰で性格も穏やかで理性的、身体能力もアスリート並のザ・優生…みたいな人間しか生まれなくなるのだったら僕みたいなのは真っ先に淘汰される。それはなんか嫌だし癪なので、僕は人間の良心と倫理観というやつになるべく頑張ってほしいと思っている。あと、ガタカはめちゃくちゃ良い映画だ、とも思っている。
話がかなり逸れたが、つまるところ植物細胞にはこの分化の決まりがないらしい。これを「分化全能性」という。この性質によって、切った茎から根が生えてくるのだ。
一応、分化自体は行われていて、葉だの茎だの根だのの細胞は分かれるものの、いつでも巻き戻ってその決まりを無かったことにできるらしい。一度進路を決めても、何回でも進路希望調査の紙を出し直せる、みたいな感じなんだと思う。もしかしたら急に仕事をやめて異業種に転職するみたいなことかもしれない。茎や幹から新芽が出るのと同じ理屈だという。
植物は基本的には(環境が整いさえすれば)半永久的に成長し続けることができる。それは植物が全能性を保ち続けているからだ。致命的な破損やダメージがない限り、幹を切られても枝が伸びてくる。多少の欠損でも「死ぬ」ことはないから、分化の可能性をずっと持っておくほうが都合がいいのだ。枝の伸び方や葉の生え方も「フラクタル構造」という単純なルールに基づいていて、もしかしたら、複雑でないから再生が簡単で、無限に分裂・増殖し続けられるのかもしれない。
…こう書くと結構怖いものがあるが、でも、植物はずっと動かないでそこにいて、大声を出したり誰かの悪口を言うわけでもなく、糞や尿など排泄もせず(たまに枯れ葉を落とすがこれは土が分解してくれるのでよい)、でも時々新芽が出てきたり、時々元気がなくなったりもしてちゃんと生きているのがわかるから、部屋にあるとなんとなく落ち着くし、優しい気持ちになったりもする。
…ところで、実は睡眠は「身体を休める」ために必要なのではなくて、むしろ眠っているときこそが生物にとっての基本状態なんじゃないか、という考察があるらしい。進化の過程で生物がなぜ睡眠を淘汰できなかったのか考えると、進化したのは睡眠ではなくてむしろ僕がこうやって起きて活動している「覚醒」の方なのではないか、と頭のいい学者の人が言っているそうだ。
僕は以前の記事で、「コアラは気絶しながらユーカリとかいう毒を食っている」みたいなことを書いたのだが、もし睡眠こそが基本状態なのだとしたら実はコアラの生存戦略の方がめちゃくちゃ優秀だったということになる。むしろ彼らからしたら日中起きて仕事をして、疲れて帰って倒れるように寝る人間の方がよっぽど不具合な生き物に思えているかもしれない。
上の睡眠の学説が本当に正しいとしたら、人間が覚醒を進化させて起きて活動するのは脳が発達しすぎたから、眠っていられるだけの栄養を摂るためなんじゃないかと思う。某筋肉芸人は「寝起きというのは栄養が枯渇しているので」と言って起床後即プロテインを摂取していたし、筋肉を維持するために夜中に飛び起きて食事を取るマッチョもいるらしい。考えてみれば6〜8時間も飲まず食わずでいるなんて眠っているとき以外ありえない。寝ている間に餓死しないために、起きているうちに3食も食事を摂って蓄えておかないといけないのかもしれない。
植物が動かずに、葉緑体と日光、それから水によって栄養を生成できることを考えると、植物は生態的に人間よりもよっぽど優秀なんじゃないかと思えたりする。植物は寝たまま栄養を摂る方法を知っている。…まあ植物が寝ていると言えるのかは分からないが(睡眠の定義は非常に難しく「自発的に行われる」「感覚機能が低下する」「恒常性がある」「活動性の消失」というようないくつかの条件がある)、それに近い状態を維持しながら自分で栄養を生み出してどこまでもモリモリ大きくなることができることを思うと、同じ生物として少し羨ましい。もし自分で栄養を生成できるのなら、僕たちは娯楽以外に金を稼ぐ必要がなくなる。
人間は自分で動いて他の動物や植物を摂取してエネルギーをもらわないと生きていけず、すぐに腹が減るし、寝ないと頭も口もまわらない。心療内科に行って言われることといえばまず食事と睡眠、それから運動であって、生きがいだの仕事だの金だの、コミュニティがフォロワーが社会が…だのと色々言っても、これが人間の活動の基本であって、そして結局これ以外はすべて余剰にすぎないのだと思う。
本質的に、人間らしさみたいなことを面倒くさくクドクド考えるから辛くなる。多分そういうことなんだろうと思う。でも、それを失って図式っぽく整然と生きていけるほど人は単純ではないのも事実だし、悩んでいることについて飽きられたり「とにかく頑張れ」みたいな脳筋思想を押し付けられても理解も解決もできないから、自分の持っている悩みや矛盾とは自分が一生懸命に向き合うしかない。そしてどうせこれは自分以外には分からないので、他の人から何を言われたとしても、真面目に悩んで考えるのがよい。
人間は、特に日本人は少し働きすぎだと思う。でも、働かないと上手に寝られなくもある。不眠になって睡眠薬を飲んでいた頃、まるで義務のように夜が来て無理やり寝ようとしていた自分に気がついた。しかしなにもせず疲れてもいないのに目を閉じたって寝られるわけがない。数ヶ月ぶりに仕事に行けるようになって復帰した日の夜、布団に横になるやいなや爆速で寝付いてそこではじめて、人間は夜が来るから寝るんじゃなくて、疲れて眠くなるから寝るのだ、と思った。眠くなったら寝ればいい。だからそうなるまで頑張って働いて、どうでもいいことでもちゃんと考えて、せいぜい一生懸命悩もう…そう考えるようになってすぐ、不眠は直った。
植物に悩みはあるんだろうか、などと思いながら観察していたら、伸びすぎた根がついに鉢の水抜きの穴から覗けるくらいになってしまっていた。一本だけ”イキ”のいい根があったから、多分それだろう。この前鉢を買ったばかりなのに、育ちが良くて参った。
ちょっと窮屈でかわいそうだから植え替えてやろうかと思ったが、「窮屈」とか「かわいそう」とかいうのは僕が想像していることで、植物側がそうしてほしいのかどうか教えてはくれないところがやっぱりちょっと怖かった。実際、根詰まりを起こして育成不良になったり根が傷ついて枯れてしまったりすることはあるらしいが、植え替えにも時期があって、間違えると自分が良かれと思ってやったことが悪手になることもあり得るのだ。ただ、それを植物たちは教えてくれないし、いいときも答えてくれない。
今は、ネットで調べればいくらでも情報が出てくるけど、彼らは本当はどう思っているんだろう?
好きだったものを全部自分で壊してしまったのかもしれない
中学生の頃に大好きだったバンドが長い間ずっと活動を休止していて、数年前、ついに正式に解散を発表した。
関西出身ということもあって、メンバーの掛け合いが漫才みたいで面白くて、音楽活動がなくなってからもインタビューの記事やメンバーのブログやラジオ、配信なんかもたまに追っかけたりしていた。好きな人たちが和気藹々、楽しそうに話したり笑いあったり、演奏しているのを見るのがなんとなく好きだった。僕が初めてファンになったバンドだった。
ここ何年か、90〜00年代に休止・解散を発表したバンドがちらほら活動を再開するような気運があったから勝手に少しだけ期待していたけど…あっけなく終わった。彼らのホームページに載せられたかしこまった文体の発表を見ても、長かった何かがついに切れたような感じがあっただけだった。少し時間が経ちすぎたのかもしれない。あれから20年近く経った今、どういう気持ちで何を思ってこういう結果になったのかは分からなかった。
ただ、ネットの掲示板の「誰と誰が不仲だ」とか、セールス面での事務所との確執があるという噂に、根拠だってないにせよ否定するほど確証も持てず、彼らの何気ない言葉の端にも価値観や感覚の違いを感じることも多少あったから、僕たちファンが気づかないようにずっと…静かに終わりの時は近づいていたのだと思った。
中学時代のクラスに僕と同じく彼らのことが好きな友達が2人いて、よく休み時間に3人で彼らの魅力について話したり、ライブの情報やDVDの感想を共有し合っていた。当時の彼らは新譜を立て続けにリリースしていて、メディアにもよく出ていて一般知名度も上昇してきていたし、ライブにも精力的で大きなアリーナやドームでのイベントをいくつも成功させていたから、バンドとして波に乗っていた時期だったと思う。話題には事欠かなかった。どんどん人気になっていく彼らを見て「いつかライブに行きたい」というのが僕たちの共通の夢だった。
ある日、僕たちの地元で一番大きな会場で彼らが公演をやることが決まった。キャパが2万人とかだったからそれなりに大きいイベントだったと思う。1人がファンクラブに入っていて、更新があった次の日僕たちに共有してくれた。…この街に来てくれるんだ!家から自転車でも行けるくらいの距離だ。ついに念願のライブ。僕もその日の夜、インターネットで彼らのホームページで情報を追った。5月20日...なんとその日は僕たちの修学旅行の日だった。
僕は、確かにバンドは好きだけど、学校行事もそれなりに楽しみにしていたタイプで、多少残念には思ったけど迷わず修学旅行を選んだ。さすがに京都である。2泊3日。廻る場所ももう決まっているし、第一家族をどう説得するのか…さすがに運がなかったと思う。もう1人もそれは同じだった。お昼の休み時間に教室の隅で惜しんでいると、そのときちょうど例の”ファンクラブの彼”が登校してきた。
彼は、不登校というやつだった。学校が嫌いらしく、俺は来たい時だけ来る、と普段から宣言していた。見た目は両耳にピアス、シルバーのネックレス、学ランの中にカラーTシャツを着たいわゆる「ヤンキー」みたいな感じでありながら、シニアの野球チームに入っていてスポーツ万能で、たまに体育の授業に来ては女子の黄色い声援を浴びていた。野球は結構頑張っていたようで坊主頭だったのだが、バレるかバレないかくらいの深い茶色に髪を染めているような、ちょっと変わった奴だった。
実は小学生の頃は仲が良くて一緒に遊んだりしていたのだが、中学に入ると部活を早々に辞め、学校にも来なくなったという噂を聞いていた。進級のクラス替えでたまたま一緒になって、学校に来ていたときにたまたま共通のバンド趣味が分かり、また話すようになった。彼はたまにしか学校に来なかったけど、来れば僕たちのところに必ず顔を出してくれていたから、僕もそれがなんとなく嬉しかった。同性の僕から見ても雰囲気があって、中学生のくせに高校生の彼女がいたりして、ここには書けないような話を色々聞かされたりもした。
彼は「仲良いのはお前らくらいだし、修学旅行なんて行っても仕方ないから、ライブ行くよ」と言った。「行っても仕方ない」というのは、僕たち2人は彼が休んでいる間に行動班がすでに決まっていたからだ。しきりに「気を遣わせたくない」と言っていた。そして、本当にライブに行った。担任も「思い出を」とギリギリまで修学旅行を勧めていたようだけど、仮病かなにか嘘ついて、行った。結局その公演がバンドの解散前、公の最後のライブになった。
…中学を卒業して20年近く経って、振り返るとなんとなく楽しい思い出もあったような気がするけど、基本的には思春期の色々があって暗い記憶になってしまって、当時のことがほとんど思い出せない。修学旅行のことなんて、あれから一回も思い出すことなんか無い。どこに行って何を見たのか、どうやって移動したのか、どんな話をしたか…
あの日、もしライブに行っていたら、今日までふとした時にそのことを思い出していたんだろうか?少なくとも今日みたいな日は思い出しただろうか?「ステージの上の彼らと目が合ったんだ!」とか...まあ2万人もいたらほとんど気のせいだろうけど、今でも忘れられないような思い出になっていただろうか?
ふと、久しぶりに曲が聴きたくなって、学校から帰って毎日のように見ていたライブ映像を観た。当時と変わらないはずの画面の中の彼らの表情がものすごく寂しく見えた。写真や映像は古くならない、変わらないというけど、時を超えて「解散」の二文字を突き付けられると、彼らのステージパフォーマンスの意味は変わってしまう。
思い出がかたちを変えてしまうのは怖かったけど、ただ自分も歳をとって色んな分別がついたらしい。MCもほとんどなく一曲ずつ終わっていくライブの疾走感。張り詰めたような空気。…なぜ、解散直前のバンドは良いライブをするのだろう。狂気に近い緊張感がある。誰かが止まったら、バンドも終わる。別々の楽器を演奏する。仲間の音を聴きながら音を鳴らし続ける。時間は戻らない。バンドは生きている。終わりに向かって…
当時の僕は多分同級生からしたら浮いていたような気がする。絵を描き、粘土を捏ね、木を削り、画用紙を切り、レゴブロックを積み上げるひとりの時間を過ごしたから、急にクラスで成績だ恋愛だと言うようになったとき自分もついていかないといけないような気になり、何度も何度も変な振る舞いをしたと思う。そういう目眩のするような自分の不全さが急に思い出されて、そうでしかいられなかった自分のことを責めて、悔やむ。でも、いつもそれが自分にとって「間違っていなかった」と思えるのはずっと後になってからなのだ。だから今にしてみれば僕も「自分はそれで良かった」とも言えるが、やっぱり「これでいいのか」どうかはいつだってその時には分からない。好きなものを好きで居続けるにもそれなりの労力がいる。
「バンドを続ける」というのはそれだけで凄い。学生の時にバンドを組んでみてやっぱりそれなりに人間関係の色々があったし、仲が良くたって状況や環境やらが変わって集まることすらしなくなった時間があった。
きっと僕が好きだったバンドのメンバーだって自分たちのグループを愛していたはずだ。自分たちにいつ何が起こるかなんて分からないけど、出来る限り長く共同体を維持しようと、時にはケンカとかもしながらお互いを尊重して活動していたんだと思う。そうでなければ人と時間を共有することなんて…まして一緒に制作をすることなんてできないだろう。そういう思いやりの共同体でさえも、価値観の違いであっけなく離散し、物語は終わってしまう。
詳しいことは分からない。例えばお互いにすれ違いがあったとか、人はいつも起こったことへの後出しで難しい評価づけをして、それを真実だと思い込んでしか生きられない、そういう振り返りの時間軸しかもてない生き物だから、「本当はどうだったか」みたいなことに大して意味なんてないのだと思う(こういうことを書くと、こうして昔を振り返りながら文章をしたためていることの意味そのものが揺らぐ感じもするが)
好きなものをなぜ好きなのかといえば、最初はちょっとしたきっかけだけがあって、続けているうちに嬉しいことが増えていって、そういう嬉しさや楽しさをもっと味わいたいという中毒的な部分があると思う。興奮や心地よさみたいな快の感情に依存している。だから、そういうものが得られづらくなれば簡単に喜びを失う。
僕は好きだと思ったことを選んで生きてきた(というかそれ以外できなかった)はずなのだが、そもそも心のどこかにずっと何かへの劣等感があって、いつからか「好き」だけでは立ち行かなくなってしまった。一生懸命やらないと、練習しないと、脳に叩き込むように勉強しないと、僕は馬鹿だから全部頭から出ていってしまうから、自分だけが置いていかれるんじゃないかと思えて怖かった。多少良くできたとしたって、いつも「こんなんじゃだめだ」と思い続けて、自分のことは全く褒めてこなかった。
目が覚めるような知識とか、度肝を抜くような発想が欲しくて、頭の良い人に追いつきたくてたくさん本を読んだけど、読めば読むほど理解できないことが増えてページをめくるのが嫌になった。漫画や映画も、ストーリーの構成とか構造とかばかり気にするようになって、いつからか心が楽しめなくなっていた。バンドだけはいつも楽しかったはずなのに、良い「作品」にしないといけないような気がして、演奏するのが楽しくなくなった。本を読むのも作品を観るのも、ドラムを叩くのも全部大好きだったのに、全くいつの間にか...そうなった。
そのうち、人にもっと見て欲しくなって、作品をお金にしたいとか売れたいとかも思うようになって、SNSもやり始めて、作ったものがどうとか、どう思われるか気にし始めた。大学に入ったばかりの頃、”映え”を気にして数字を追いかける人たちのことが全く理解できなかったが、気づけば自分がそういう人間になっていた。僕は自分の好きもわからなくなった。
あれから僕は相当に音楽の趣味が変わって、彼らの曲を全く聴かなくなった。どうして変わったのかと言えば、大学に入ってから例のバンドを聴いていることを馬鹿にされたことがあったからだ。別に恥ずかしいとかいう気持ちでもなかったし、くだらない意地を張るでもなく、ただ…なんとなく聴くのをやめた。悲しいとか寂しいとかいう気持ちもなかった。
ふとしたとき耳の奥で鳴るのは彼らの曲だった。もうダメかもしれないと思ったときに聴きたくなるのは彼らの曲だった。もう、大人になっちゃったけど、まだ歌えるよ。プレイリストからなんとなく消してしまったあとも、あとからどんな思い出も触ることができないような心のどこかで、ときどき埃を丁寧に払いながら大切にしてきたんだろう。ハードディスクから曲を引っ張り出せば、まだ憧れしか持っていなかった無力感と劣等感の通学路で、少しだけ世界を手に入れたような気がして高揚した気持ちがいつだって蘇った。
自分の趣味は高尚に語るくせに、他人については厳しく採点するような人間にあれこれ揶揄されて思い出に砂をかけられたくなかったから、僕は人前でそのバンドを聴いていることをあまり話さないようになった。好きなものは胸を張って好きと言う「これが私だ」と宣言するのが美学だという考え方もあるけど、誰にも触れられない場所に大切にしまっておくことが僕なりの「好き」の守り方だった。
僕は僕のままで、近所を散歩して、時々酒を飲んで音楽を聴いて、部屋に現れた蜘蛛を掌に載せて観察したり、ぼけっと空を眺めているだけで充分楽しく生きてきた。自分が好きなものを「好き」だということを必ずしも誰かに分かってもらう必要なんて無いんだ、ということも、ちゃんと分かっていたはずだった。
…ところで、不登校だったあいつは確か高校に行かずに仕事を始めた、と風の噂で聞いた。彼のことだから、学校はどうしても性に合わないんだろう。もう20年以上会っていない。どこにいて何をしてるかも知らない。でも彼なら自分の「好き」に生きて、どこかで楽しくやっているんだと思う。
続・小学校の頃の思い出
これの続き
…学校の地区の人口が少しずつ増えていた時期だったんだと思う。街の開発が進んで、野原や雑木が次々と拓かれて新しい道路ができ、マンションや建て売りの住宅が続々と建っていった。そのなかの、一際きれいなオレンジ色のレンガの外壁の一軒家。そこにおさちゃんは住んでいるとのことだった。うち、できたばっかりで、お母さんもお友達呼んでいいよって言ってるから、おいでよ…彼はいつもの調子でそう言った。なにしろ外観からもわかるきれいな家だから期待が高まる。すぐに約束をとりつけ、僕は友達とテレビのお宅訪問番組よろしく、どこか品定めをするような気分で彼の家に乗り込んでいった。
“お邪魔”した子供たちを、彼の母とおばあちゃんが快く迎えてくれた。コップにオレンジジュース…こういうもてなしにもそれなりに慣れているのだが、一応「ありがとうございます」と口々に言う。まったく白々しい。広くてきれいな部屋に、新築の匂い。丁寧に体育座りをして、中をぐるっと見渡す。さすがにでかい。さて、なにして遊ぶ?「スマブラ」か?それとも「マリオパーティ」?
…いや、茶番はいらないだろう。転校生への事前の「面接」によってすでに調査は済んでいるのだ。なあ、おさちゃんよ…お前も好きなんだろ?ほら、出しなよ。「デュエル・マスターズ」をよ…
彼が部屋から持ってきたものを見て、僕たちは驚いた。段ボールにぎっしりと詰められたカードの束。こんな量見たことない。追い討ちをかけるように「もう一個、”ザコ用”の箱あるんだよ」とおさちゃんが言い放つ。計、少年ジャンプ10冊分くらいのカードの山。…なんだよこれ。格が違うじゃないか。
僕たちが呆気にとられていると、これみよがしに彼のおばあちゃんが「お友達来るって言うから、これ、”今月”のね」と言って、なにかを置いた。それは、僕たちが翔ちゃんの家でしか見たことのない箱買い、禁断の「2箱」であった。友達が来るタイミングに合わせ、わざわざ孫のためにカードを買いに足を運ぶおばあちゃんの”見栄”が見え隠れしていた。どう?うちの孫。凄いっしょ…少しドヤ顔していたような気さえする。しかも、さっきなんて言った?「今月」?…え?毎月あるの?
ひと箱なら、大体4、5000円。2箱買うなら10,000円。福澤諭吉の「壱万円」である。もし小学生が手にするとしたら、お年玉のあの一瞬…親戚から渡されるポチ袋を覗いて、親に回収されるまでの、あの一瞬。諭吉と目が合うのは一瞬だけだ。積まれたカードの2箱が壱万円札に見えた。諭吉が真顔でこっちを見ている。
僕たちのたじろぎ方を見て、おさちゃんにはなんとなく一瞬で色々察しがあったのだと思う。僕たちの前では開封の儀を行わず、おばあちゃんありがとう、と言って新品の箱を自分の部屋に持っていった。みんなの前で開けたら嫌味っぽい感じがすると思ったのか、それとも金の目になっている卑しい庶民の子供にタカられることを心配したか、とにかく開けなかった…おさちゃんはいい奴だった。普通、箱買ってもらったら誰だって狂喜乱舞するものなのに、あの落ち着きよう…只者ではない。それが、ますます僕たちの目を丸くした。
次の日、休み時間の話題はおさちゃんのことで持ちきりだった。当然、翔ちゃんの耳にも届いた。おさちゃんはヤバい。1箱じゃない、2箱。諭吉がこっち見てたし、レアカードが山。段ボール...
普通、というか僕は、値段がお高めのクッキーかなんかが入っていた小さめのカンカンに入りきるくらいの量…それがいわゆるコレクションの全てであり「全財産」であって、周りの友達だってそうだった。それが、おさちゃんは段ボールの箱なのだ。しかも「ザコ用」も入れて2箱…資本の暴力、その2。
僕たちはなぜか翔ちゃんに「敵討ち」してほしかった。自分たちには無理でも、翔ちゃんなら…。別におさちゃんが嫌いになったとか敵だとかいう話ではないのだが、ついこの前引っ越してきた子にあっさり感動を上書きされた自分たちが情けなくなってしまっていた。なにと闘っているのかはわからないが、翔ちゃんとおさちゃんをどうしても遊ばせたくなっていた。さすがに翔ちゃんなら、彼のコレクションを見ても微動だにしないんじゃないか…だっていつも箱買いだし、なにしろ家がサッカーのコートくらい広いのだ。頼む。俺たちの翔ちゃん。
そんな話を休み時間にみんなが口々にするものだから、翔ちゃんも多少は気になったようすで、一言「ふーん」と言った。クールな素振りで、それ以外はなにも言わなかった。こういうのは熱くなったら負けなのだと、まるで翔ちゃんは全て分かっているかのようだった。2人のカード・コレクションの対面が決まったのは、その数日後のことだった…
…当日、集合場所で翔ちゃんを待った。一体どんな用意で来るかと期待していたが、翔ちゃんは小さなプラスチックのケースだけを持ってきた。聞けば、デッキが入っているらしい。僕たちは、どでかい段ボールをいくつも自転車にくくりつけてくることを期待していた。しかし翔ちゃんはクールなものだった。「全部でどのくらいあるか、わかんないし」つまり持ってくるのがめんどくさいらしい。…さすがだ。僕のコレクションなら、小さいお菓子の空き箱ひとつで足りる。自転車のカゴにでも入れたら十分だ。でも翔ちゃんクラスになると、もう自分がどのくらいカードを持っているのか把握すらできないというわけだ。さすが俺たちの翔ちゃん。スケールが違う。それよりも、手に持っているプラスチックの「それ」が、カードはコレクションの”量”じゃない、”強さ”なんだよ、と語っているかのようだった。今日、それを分からせてやる…という彼の静かな意気込みを感じた。
おさちゃんの家に着き、保護者の挨拶から一連、先述したようないろいろと、段ボール2箱のくだりをやってひと息つく。さすがにその日は”おばあちゃんの見栄”こと新規の2箱は無かったものの、ひとりが「この前の箱、(レアカード)何出た?」とさりげなく蒸し返した。おさちゃんは、まあまあだったね、と言った。…この余裕。翔ちゃんの顔を見る。ふーん、という顔。こちらもまた、様子を伺っている。
また、別のひとりが「翔ちゃんもたまに箱やるけどさ、おさちゃんは毎月おばあちゃんがお小遣いくれるんだって。すげーよな」と言った瞬間…すかさず翔ちゃんが「うち、お小遣いとかない。欲しいって言ったら買ってくれるし」と切り返す。いわゆる定期購入…毎月商品が手元に届くサブスクリプション制ではなく、パトロン制なのだと。パトロンおばあちゃんなんだと。これに湧き上がる観客。
どっちも凄いが、翔ちゃんの方がなんだか一枚上のような気もする。しかし2箱のおさちゃんも負けてはいない。資本のバトル(というかおばあちゃんの財力バトル)はほぼ互角。おそらく、2人にはそれが分かったのだろう。
「おさちゃんは、デュエルやんの?」翔ちゃんが訊いた。そもそもカードにはいろいろな楽しみ方がある。「トレーディングカードゲーム」と銘打つくらいだから、お互いが持っているものと交換したり、カードをコレクションして、好きなカードの絵柄を見てうっとりするとか…そういう楽しみ方だってあるのだ。なにも、バトルだけがカードの全てではない。だから一応、翔ちゃんはおさちゃんのカードへのスタンスを確認した。集めるのが趣味の人に、バトルを仕掛けるのはマナー違反である。大人ですらやりがちであるが、ここがズレるとただの見栄の張り合いになる。さすが翔ちゃん。小学生にしてよく分かっている。
…ちなみに、翔ちゃんはデュエルがめちゃくちゃ強かった。僕も地元ではそれなりに強いと自負していたのだが、翔ちゃんに一度ボコボコに負けてから、いつかリベンジしようと思っていた。なにしろ持っているカードの母数が違う。種類や枚数が多いということは、その分戦略も広がるわけで、特に翔ちゃんの持っている切り札…友達の中で唯一翔ちゃん「だけ」が持っていたあるレアカードには特殊な効果があって、それを出されると、どんな形勢でもひっくり返されてしまうのだ。
「もちろんやるよ!」翔ちゃんの”誘い”に、おさちゃんは笑顔で答えた。待ってましたと言わんばかりだった。連日、幾多のデュエルを繰り広げてきた経験でわかる、この反応…彼も相当な使い手だ。こちらに引っ越してくる前、その”資本の暴力”こと2箱の段ボールで、散々地元の友達を殴り倒してきたに違いない。無邪気な笑顔の端にニヤリと笑う口元が見えた…自信が漲っている。
デュエリストに、それ以上の言葉はいらない。闘う2人が同意したなら、観客は床に広げたカードをさっさと片付け、手下のようにステージを用意するのである。しかもこの対戦カード(カードバトルだけに)は、地元の強者であり一番のコレクターでもあり、家がサッカーコートくらいある翔ちゃんと、その翔ちゃんを上回る”2箱買い”の新参者、おさちゃんの勝負。しかもおさちゃんの実力を僕たちはまだ知らない。正直、自分がデュエルするよりワクワクする組み合わせである。
ジャンプとかを読んでいても、多くの読者が感情移入するであろう主人公が戦うより他のキャラ同士が戦う展開が一番熱い。「ナルト」におけるサスケ奪還班vs音の忍五人衆、「スラムダンク」における陵南vs海南、「ハンターハンター」蟻編における東ゴルトーでの死闘…挙げればキリがない。
翔ちゃんの実力については充分に知っている。いつもはクールな翔ちゃんだが、デュエルが始まると鼻歌を歌い出し、満面の笑みで猛攻を仕掛けてくる。こちら側の不意のカウンターにも反撃にも、強いカードの召喚にも一切動じず、まるで七福神のような目尻の下がった笑顔で、遠慮も血も涙もなく無効化し、ねじ伏せてくる。
僕は翔ちゃんの勝利を願わずにはいられなかった。クラスで1、2を争う実力の翔ちゃんが勝つなら「やっぱりうちの翔ちゃんは強いのだ」となるし、その翔ちゃんには僕も負けたわけだから、おさちゃんとの格付けの可能性もまだ残されている。そもそもこれは僕たちの地域の威信をかけた戦いでもある。絶対に負けられない。頼む。俺たちの翔ちゃん。戦いは三日三晩続いた…のはさすがに冗談なのだが、勝敗が決するまでに、かなりの時間を要したような、時間が止まったかのような感覚だった。息を呑む、手に汗を握る激しい攻防。一進一退。初めて見るレアカードたち…
翔ちゃんは…負けた。翔ちゃんはいつもの調子で笑顔を浮かべていたが、垂れた目尻のその隙間に、時々汗が滲んだ。おさちゃんも、時々うーん…と唸りながら、しかし淡々と翔ちゃんを追い詰めたのだった。
僕たちは、それはもうすごいものを観たようすで、戦いのあとの2人を口々に称えた。勝敗は決したものの、次も同じ結果になるかどうかは分からない。それは誰の目にも明らかだった。だから、負けた翔ちゃんのことを誰も揶揄しなかったし、おさちゃんのことも必要以上に持ち上げたり崇めたりしなかった。おさちゃんは「次は僕が負けるかも」と大人なコメントを残したし、翔ちゃんは「あそこで間違えなければ」と素直に悔しさを滲ませた。そんなこんなで、僕たちは興奮したまま、お互いのカード・コレクションに興味を移し、デュエルの反省や改善点を指摘しあったり、情報交換に入った…
その時だった。僕のカードを眺めていたおさちゃんが「あっ」と声を上げた。その手には、僕が以前サーチして引き当てた「あるレアカード」があった。
「これ、どうしたの」おさちゃんが言った。僕は、数ヶ月前に例の”パーマのカード屋”で当てたことを話した。しかもその日、僕の財布には200円しかなくて、その1パックしか買えなかった。だから、これまでのスナイパーの技術を結集させて臨んだギャンブル。僕は見事にそのワンチャンスで、そのカードを当てたのだった。その幸運と技術の象徴を見て、おさちゃんは交換して欲しい、と申し出てきたのだ。僕のカード1枚に対して、同じくらい強い…あるいは珍しいカードを3枚並べた。普通、交換なら公平に両者1枚ずつだ。それが暗黙の了解だ。僕は思わず、まるで自分が騙されているかのような疑いの感覚をもってその取引を拒否した。あまりにも身の切り方が過剰だ。さすがに釣り合わない。それは悪い、という遠慮も込めてだった。しかしおさちゃんは「じゃあもう一枚!」と言って、さらにレアカードを追加した。4対1…。彼は確かにカードをたくさん持っているが、その取引は明らかにおさちゃんにとって不利なものだった。なにしろ、先ほど翔ちゃんを打ち負かすのに一役買ったカードも入っていたから。
僕はこの時、自分がある序列の中にいるのを感じた。みんなから一目置かれている翔ちゃん。その翔ちゃんよりデュエルが強かったおさちゃん。そのおさちゃんが、切り札を失ってまで欲しいと言っている僕のカード…しかも資本力ではない、僕の日頃の研究と努力のスナイプによって引き当てたカード。
この不思議な三竦みに、僕の自尊心は急激に充足した。この構図がなぜだか誇らしくなり、そのあと小学校を卒業するまで、おさちゃんはそのカードを見るたびに取引を持ちかけてきたが...僕はついに、そのカードを交換することはなかった。
それから小学校を卒業して、翔ちゃんとはクラスも部活も別々に、おさちゃんは私立の中学に進学したから、遊ぶことも、カードの話をすることもなくなった。しかし…たかがおもちゃとはいえ、あそこまで熱くなれるものが確かにあって、そういう思い出を今もこれほど鮮明に思い出せるのは、幸せなことだと思う。