30年

 

 

自分のことを振り返ってみようと思う。

 

30年も生きた。小さい頃は自分が30歳になると思わなかった。自分はずっと子供のままで、木登りしたり、虫取りにいったり、走り回って日が暮れる前に家に帰って、寝る時間まで部屋で絵を描いたり工作をして…このままずっとこうやって生きていくんだろうな、と思っていた。

親がデザイン関係の仕事をしていたから、そういう生活が(世の中にあることが)普通だと思っていた。その時はまだ表現とか難しいことは考えてなくて、ただ純粋に自分が欲しいものだけを作っていた。小学生の頃は、絵を描くと友達も先生もみんな褒めてくれたし、自分もそうだよなと思っていた。
当時は身体がけっこう小さくて、内気で、学校ではよく泣いていたので(なぜか悲しくなってきて泣いてた)、何か描いたり作ったりすることでみんなとコミュニケーションを取れることが嬉しかった。
でも同時に、自分の存在自体が客観的で、誰か違う人を見てるみたいな感覚があった。自分なんだけど自分じゃないみたいな。帰りが遅くなって、親に怒られている時とかに「あ、僕、今怒られてる」と思っていたし、友達と遊んで大笑いしてる時も「おー、今、楽しいんだな」みたいに思う。意識が頭の上にある感じというか、今その瞬間から意識が離れる?みたいな…他の人はどうなんだろう?皆さんもそうですか?

 

生まれてからずっとそんな感じなので、自分が体験していることに意識が入っていけなくて、本当に楽しいのかなんなのか自分でよくわからなかったりする。なにか作ったり作業している時は、一番自分の感覚が自分の意識とリンクしてくれるから、行動・活動している実感が得やすい。というか、いちいち客観的になっていることを確認しなくていいので楽だった。基本的には1人でいるほうが楽だなと思う。

だから…かどうかはわからないけど、たまに人から向けられている感情が分からないときがある。例えば、数人でいる時に、みんなが盛り上がって笑っていても、自分だけ意識が飛んでいるので、真顔になっていたりする。(だからといって人といるのが楽しくないわけじゃないですよ)なんで笑わないの?とか、怒ってる?とか言われて初めて気がつく。これは本当に良くないことがあって、その場の雰囲気を壊してしまう。全く怒ってないし、楽しんでるよって返すけど、なんだか申し訳ないなと思う。ごめんなさい。

逆もあって、凄いねとか、えらいねと言われても、ふーんそうなんだと思ってしまう。自分が言われていることなのに他人事というか、実感がなくて「嬉しい」とか「ありがとう」が出てこない。問題なのは、自分は特に困らなかったこと。いろんな人が気を遣ってくれていたり、そうやって人を不安にさせたりしているということに、やっと最近になって気づいてきた。一応、何度も違和感は感じていて、その度に直そうとしてきたけど、どうしたらいいのかわからなかった。別にいいわと開き直った時期もあった。それが自分だから、頑張って変える必要はないと思っていた。でも、僕に期待してくれていたり、好きで周りにいてくれる人が少しずつ増えてきた。それで、そういう人たちに応えたいと思うようになった。これがちょうどここ数年の話。

 

30年というのは、生理学的な構造で見ると人間の本来の寿命であるらしい。心臓の拍数が関係しているそうだ。例えば、ネズミの心拍数は約600回/分→寿命1〜2年で、ゾウだと心拍数約40回/分→60〜70年くらい生きるらしい。ヒトは高血圧とかじゃなければ心拍数約80〜100くらいなので、30年という数字が結構信憑性があることがわかる。※諸説あります
現代では、医療の発達や食事、生活環境水準の向上によって、もう当たり前に倍以上生きられるようになっている。歌手のCoccoが、「人間の30歳からは本当の寿命じゃないから、いろいろおかしくなってしまって、生きなきゃいけない罰を受けてる」と言っていたような話を聞いた。(出典元わかりません。違ったらごめんなさい)

だから、30になって「一回死んだ」と思うことにした。コロナのこととかもあり、思うように物事が進まなくなって、色んなことを考えて、それでこの話を思い出したので。
一回死んで生き返って、これからの30年…60歳までもし生きられるなら、今までの自分とこれからがなにか違ったものになったらといいなと思った。楽しかったら楽しいってちゃんと言う、みたいなこともそうだけど、自分の気持ちを理解して、ちゃんと相手に伝えないといけないんじゃないかと。

 

ちなみにもうすぐ31になる。1歳の誕生日だ。赤ちゃんで言ったらそろそろ言葉を話し出す時期だから、ちょっとずつこうやって文字にすることとかも含めて、練習したいと思う。もしかしたら、新しい言葉が話せるようになるかもしれない。