お酒を飲むようになって

 

 

僕は、お酒を飲むのが好きだから、20代の頃はよく友達と飲みに行っていた。その度に、色んな話をした。真面目な話もふざけた話もたくさんあった。

大体、翌日の朝にはほとんど忘れる。話した内容は覚えてないけど、それでも頭の中にぼんやりとした楽しさと、少しのドキドキ感が残る。お酒を飲まない人にそれを伝えるとしたら、多分、映画を見たあとの感覚に近いんじゃないかと思う。細かい台詞までは覚えてないけど、大事なシーンは残っていて、終わった後に「なんか良かったな」とか「また見たい」と思う。それでまた次の約束をして、エンドロール代わりに歌を歌いながら夜道を帰るのだ。今までたくさん土曜日を無駄にしたけど、そういうのも楽しかった。

 

今は、同世代の友達と飲むことは以前に比べてかなり減った。もちろんご時世柄、みたいなことも理由としてある。でもそれ以上に、僕の年代がちょうど、きっと自分の情熱をかけられるものに出会ったりして変わっていく時期なんだろうと思っている。自分がやっていることや考えていること、興味のあることがはっきりしてくると、お互いに伝わらない話も出てくる。何を大事にして生きていくのか、みたいなことも変化したりする。仕事を頑張れば、より専門性の高い話をすることも増える。家族ができて、生活が変わる人もいる。

誰がそうなったからというわけではなくて、自分の周りでは、みんながじわじわと変わっていった感じがあるから、30歳ごろというのはそういう時期なんじゃないだろうか。これは寂しいことだけど、「便りがないのはいい便り」というから、みんな頑張っているんだろうなとも思う。

 

ところで、数人で飲みに行くと、自分が「奢る側」になることも増えた。例えば、仕事関係で大人数で食事する時。もちろん後輩が連絡をくれて飲みにいくこともあるけど、自分のコミュニティに「年下ができた」のである。今までは自分が一番下ということが多くて、相当上の人に奢ってもらってきたから、若い人には出来るだけ財布は出させないようにしたいと思う。(金銭状況によっては難しいこともあるが)

そういうことが増えてきて、昔の自分を思い出したりすると「格好いい大人になりたい」などと思うようになった。それは「お金を多めに出す人」とかいう意味ではなくて、憧れられるというか…魅力のある人間になりたくなった。
自分が一番若い立場だった時、周りに「兄貴」的な人がいて、よく助けてもらったから。かっこいいなと思ったし、こんなふうになりたいと思った。必ずしも自分の目標そのままというわけではなくても、そういう人たちが前を歩いてることが自分にとっては明るく思えるし、歳を取るのも悪くないなと思ったりする。

 

最近、ネットを見ていると、自分より若い人が自分のことについて悩んでいるのをよく見かける。若いうちは悩むのが当たり前で、不安も多いと思う。考えるのは仕方ないから、それが良い悪いではない。
でも、これだけ多様性だの価値観だのという話が世の中にあっても、それを肯定できるような人はごく一部だと思う。大多数は自分のことが嫌いで、社会から押しつけられる「ありのまま」を受け入れられない人の方が多いんじゃないか。それはもしかしたら、格好いい大人が周りにいないのも原因なんじゃないだろうか、と思った。

自分のことを認められなかったら、歳を重ねることが怖くなって、こうでなきゃいけないみたいなことに縛られる。命を絶とうとしてしまうような声も実際にたくさんある。(個人的にはそれは必ずしも悪いこととは思わないけど、それについてはまた今度)僕には、その人の状況や気持ちを共感することは難しいけど、それは多分、とても苦しいことだと思う。

 

自分もそういう時期はあったから、とても気持ちは分かる。自分の嫌なところばかり考えてしまって、たくさん泣いた。もちろん今だって悩んでいないわけじゃないし、落ち込むことの方が多い。それを助けてくれたのは、なんというか、色んな人との出会いと、格好いい人たちの内面の輝きを見たからだと思う。

もしかしたら自分の人生が好きになったら、楽しそうに生きたりしていたら、そういうエネルギーを振り撒くことができたら、そういうものが誰かほかの人にも伝わって、その人のことを助けてくれることがあるのかもしれない、と思った。