療養と、お見舞い

 

 

そういえば最近書いてないなーくらいに思っていたら、前回書いた文章の日付を見て自分でも驚いた。

この間何をしていたのかといえば、前回の”鉛飯”の文を書いた直後に力尽き、完全な鬱期に入っていた。自分が鬱を自覚してから今までにないくらいの結構な波がきたもので、布団からずっと出られないような状態が続いていた。なにをするのも面倒になってしまい、人の誘いも全部断り、仕事も休んだ。こうなったらもうどうにも無理である。自身の行動も簡略化されてしまう。複雑なタスクは不可。一日が基本1ターンのみの行動になり、読書はおろか考え事自体もできなくなる。

 

今回、特に「鬱期に未来のことを全く考えられなくなる」という新しい発見があった。どうしたいかとか、今後何がやりたいかという”将来目指すもの”の想像が全くできず、「食べたいか」「寝たいか」みたいなクソデカ欲求のことしか考えられなくなってしまい、希望の射程距離がめちゃくちゃ狭くなっているのを感じた。巷でよくいうキャリアプランだの人生設計だのという言葉が、いかに精神が健康であるという前提に基づいて語られるのかよく分かった。生活に希望が持てなければ、今の自分から未来へ繋がっていくような時間感覚に実感が持てないということも分かった。こういう状態にある人に「何かやりたいこと探して人生充実させなよ」みたいなことを言うこととかも、根本的に間違っているんじゃないかと思ったりもした。

こうなってくると、せいぜい「飯を食って寝る」くらいしかできることがないので、いっそのことせめて好きなものを食い、好きな時に寝てみよう…と思った。考えてみれば30年生きてきて、こんなことは過去に一度もできなかったことである。幼少期とか誰かの保護下にある時は好きなタイミングで寝られはするかもしれないが、自我がないため食事は与えられるものを食べているわけだし、好きなものを選んで食べられるようになる頃には時間を管理されているから好きな時に寝られない。社会というのは縛りが多いから、逆に考えれば今の自分の状態は貴重な時間なんじゃないか。とりあえずこの時ばかりは、いっそ自分の好きなように生きてみることにした。

まず、朝起きる。太陽の光を浴びろと医者が言うので、カーテンを開けて空を眺める。30分くらい眺める。ここで「めんどくさい」と思ったらカーテンを閉めてもう一回寝る。もし「気持ちよさそうだな」と思ったら布団から出て、着替えるルールとした。近所に散歩に行くのだ。朝ご飯にベーコンエッグ的なものを作って食う。めんどくさかったらコンビニかなんかでおにぎりとかを買ってもいい。道中、川を眺めたりする。公園に行ってベンチに座って、さっき買ったおにぎりを食いながら、きゃあきゃあ遊ぶ子供たちをぼーっと見る。できるだけ爽やかな曲をイヤホンで聴く。日差しで暖をとりながらベンチに横になってみる。たまに、子供が取り損ねたボールが足元に転がってきたりするので、拾ってやる。だんだんベンチにかける尻が底冷えして寒くなってくるので、大体2時間くらい…座ったりうろうろしたり、入ったことのない路地を散歩しながら家に戻る。そしたらちょうど昼くらいの時間になるので、どこかでついでに昼ごはんを買って帰る。こういう感じの生活をした。

 

鬱の気が強いときに大事なのはまずは生命維持である。どんなでもいいから、とにかく飯を食って寝る。炊き立ての米だけはいつでもうまいから、米だけは頑張って炊く。頑張って納豆か卵を食っておけばいい。鬱生活で大切なのは、自分の生活に対して”遅れをとっている”という強迫的な感覚をなんとか切り離すことだ。現代の衛生環境では、たまった書類・洗濯物・食器や、汚い部屋や汚れた服などの原因で人間が死ぬことはない。でも、生活が全然うまくいかないことへの自責…「自分はなんてダメな人間なんだ」という気持ちは、人の心を結構簡単に追い詰めてしまう。それはなにか観念的な「まとも」と、自分自身とのすり合わせによって起こる、自分に対する理想みたいなものである。

自分がこうなりたいという気持ちは生きる上で結構大事な活力になるものだが、いざ自分にどうなりたいかと問うてみると意外とパッと思いつかない。確かにまあ、寿司を食って最高になりたい、とかはいつも思う(ウマイので)が、ショーペンハウエルが「欲望自体を欲することはできない」的なことを言っていたように、「なにかしたい」とか「これがやりたい」とかいうものは心の中から能動的に湧き出てこないと意欲にならず、なかなか腰が上がらないものである。

 

欲望は基本的には自己完結できない。自分で思いついて実行するというよりかは、誰かから与えられるものである。成功したいというのも誰かのことを見たから自分もそうなりたいとか、憧れや尊敬などによって誰かにそう思わされている、と言える。だからこそ僕は芸術に偉さを感じたのであり、先人たちのようになりたいと思ったのである。

しかし自分の生活が立ちいかなくなって欲望のレベルが下がると大体のことがどうでも良くなる。自分がやりたいこと…やっぱり特にない。非常に恵まれているのである。活力が失せても生活に不自由がない。だから何もする気が起きない。なにか自分の心に火をつける必要がある。今回の療養はそれらを一度振り返るいい機会になったんじゃないかと思う。最近やたらと「なぜ作りたいのか」「何を目指すのか」なんて一生懸命に考えてしまっていた時点で、制作することに理由が必要になっていたわけである。まあ相当に厳しい状態だったんだということにやっと気がついた。

これは結構落とし穴だったと思っていて、僕にとって長らく制作というのは自分のアイデンティティだったから、それを失うことが結構怖かった感じもあると思う。だからしがみついていた。制作をやめたら自分になにか残るんだろうか。結構そういうことを考えたりもする。でも、別に制作をやめたとしても自分でなくなるわけではないというか…生きてりゃいいか、と、少しだけそういうふうに思えるようになったりした。多少暇になったおかげで、またなにか始められるかもしれない。それでこうやって文章を書いているわけだし。

 

この療養期間中、足繁くカウンセリングに通ったおかげで、自分の考え方のクセを知ることもできたりした。無意識のうちに、なにかを社会に還元できないなら生きている意味がない、と自分自身に強く思っている節があった。でもそれは考え方を変えれば、自分の意図しないところで「役に立たないなら存在してはいけない」みたいな思想に育つ危険性があるというか、結構ナチュラルにヤバイことを考えていたのでは、と気づいて怖くなった。そのくせ愛がどうだみたいなことはしっかり語るので、脳内が矛盾しまくっている。そういう自己評価の低い自分のことをずっと肯定したかったが、なかなか自分を許せなかったから、そういう言葉が出ていたのかもしれない。

世の中的に「作家というのは狂気をはらんでいるものだ」とか勝手に言われるが、実際精神不安を抱えている人はいるし、自分の周りにも鬱っぽさを抱えながら作品を作っている人が多いので、多分そういうもんなんだろうというか…自分の内側を覗こうとする時、そういう心に蓋をしていた闇の部分が出てきてしまうみたいなことはやっぱりあり得るんだろうなあと思う。でも、自分にはそういう狂気を持ったまま作品を作るっていうことはどうしてもできなかった。弱さを持ったままなにかを語るっていうことも難しくなってしまったし、したくなかった。自分の弱さを棚に上げて目を背けて、光なんか見えるはずがないとも思った。だから何かを語るなら、まずこうやって心の治療をするべきだと思ったのである。一回立ち止まって考え直す必要があったのである。僕にはそれが必要だったのだ。

 

鬱期になる周期がだんだん自分でわかってきて、それより前にやりとりをしていた人たちに予告していたりしたのもあって、落ち込んでいる間にメッセージをもらったりしてすごくありがたかった。「頑張れ」とかじゃなくて「元気になったら飲みに行こう」みたいなそういう言葉のおかげで、少し先に楽しみが持てた。

自分はもうこういう鬱の人間で、一度脳に”鬱回路”ができるともう治るものじゃないから、うまく付き合ってやっていくしかないのだ。それは開き直りの感情じゃない。別に人生に絶望して死にたかったから鬱やったわけではなくて、たまにそういうような誰かの言葉に非常に救われた経験があるから、言葉の持つ力をすごく信じているんだと思う。表現手法として言葉を信頼しているから、だからこうやって文章を書きたいと思ったのかもしれない。

…まあそんなことを思いながら朝に散歩していたときのことである。よく行っていた公園が丘の上にあったので、緩やかながら結構長い坂を登っていると、前から小さい女の子がぼよんぼよんと走ってきて、目が合うとにっこり笑って「あそぼ〜」と僕に言った。手にはなんかお花を持っていた。その後ろをゆっくりついてきたお母さんと目があって、会釈して、女の子に手をふった。

2人と別れた後、僕はなんだか嬉しくて少し泣いた。まあ、こんな簡単なことで、人は救われるのであった。