「鉛のような飯」を食ったことがあるか

 

 

喉を通らず、味もしないような気の重い食事をとることを、夏目漱石が「こころ」の中でそう表現した。初めて聞いたとき、こういう気分のことをこんなにも端的に言い表すことができるものか、といたく感動した覚えがある。鉛なんか食ったことなくとも、どういう心境なのか容易に共感する。言葉で表現することの真髄をみる気がするのである。

何か心配ごとがあるとか、誰かとけんかしたとか…怒られたとか、そういうとき食事の、特に白米が、なんとも硬く重く飲み込めない”塊”になって、ずっと口の中に居座り続ける。最悪な食事をとった日は、お茶でなんとか喉に流し込んで早く部屋に戻り、布団の上に丸まって壁を見つめるしかなく…僕はもう、数え切れないほど「鉛のような飯」を食った。

 

僕の育った家はとても厳しかった。父も母も、一生懸命に姉と僕を「ちゃんとした」人間に育てようとしていたと思う。心療内科に通い、月に数回のペースでカウンセリングを受け、心理士に自分のことを話すうちに昔のことを思い出し、今、必死になってそれと向き合うはめになっている。

このブログにはできるだけ自分の正直な気持ちを書いて、脚色せず、格好もつけず、素直な実感を大切にして文章に残そうとしている…つもりである。でも昔の…特にそのことだけ書けない。別に「こんなにきつい経験をしてきました」という自慢みたいなつもりもなく(そんな趣味の悪い自慢をしても意味がない)、それよりも、文章にする作業によって自分がそういう厳しい時期を送ってきたことを肯定すること、それをもう一度頭の中で体感しなければならないことが…怖い。去年あたり、なんかそんなような内容の文章を書いた気がするが、結局、現在の自分も”あの時”と同じようにずっと震えたままだったのだ。

 

数年前、母親が実の娘を医学部に進学させようと何年も教育虐待をし、娘が耐えられなくなり母親を惨殺するという事件があった。鬱がひどい時にたまたま立ち寄った本屋でその事件を取材した本を見つけ、何気なく手に取り、読み始めた。事件の概要や獄中の娘とのやり取りも含む凄惨な内容に読む手が止まらず、300ページ弱をものの数時間で読み終えてしまった(ちゃんと買った)。本の途中、自分の記憶がフラッシュバックし、どうしようもなく切なく苦しい内容に涙が止まらなくなった。

教育というのは難しい。僕は人の親ではないが、同級生に子供ができはじめSNSでいろいろな投稿を見ていると、純粋にかわいいと思う気持ちや尊敬、おめでとうという感情が混ざり合ってなんとも言えない感情になる。自分に子供ができたとして、今の自分のような気持ちにさせない自信がない。歳を取るごとに、やっぱり自分も親に似てきている気がするのだ。

自分の心の治療の足しになればと、時々心理学や精神医学系の本を読んでみると、教育や育った環境がいかに人格形成に意味を持っている(とされている)のかがわかる。SNSを少し見れば「メンタルコーチ」と名乗る人が自己肯定感やら親の愛情がどうとかで、幼少期の記憶と向き合うことをしきりに発信している。そういう人が多いということは、そういう悩みを持った人もまた多いということだろう。特に自己肯定感という言葉はここ数年で一気に認知されるようになった気がする。口を開けば自己肯定感、である。”自己”肯定感を高めるのに、人からの肯定や承認が必要だというのは理屈がどこかあっていない気もするが…まあそういうものらしい。自信というのはある種の催眠のようなものなんだろうか。

親と良い距離感で尊重されて育ってきた人はちゃんと他の人のことを尊重できる。そういう人は人から好かれて愛される。まあ社会からも必要とされそうである。教育によってよい人格が形成され、笑顔で明るく肯定的な性格になるというなら、その親もまた、その親からそういうふうに接されてきたということだろうか。鳥は飛び方を親に教わるというが、飛び方を知らない個体はきっと子供にも飛び方を教えられない。…おいおい。だとしたら僕はこの歳まで育っちゃってるのだが、もう飛べないとでもいうのだろうか。

 

たまに歳上の人と食事をすると「自分たちの世代は”そういう”教育が当たり前だった」というようなことを耳にする。自分の親世代は、そのまた親世代から”もっと”厳しくいろいろなことをされた、ということも聞く。怒鳴られたりなんて当たり前。竹刀で殴られて食事を抜かれる。上司や先輩から叱責・罵倒されても、食らいつく覚悟で仕事に向かうものだ…そういうことを年配の芸能人なんかがテレビで話している。
…しかし、そう言われたからといって「そうか、これが当たり前なら自分たちも耐えなきゃいけないな」とは...どうにもなれないのである。現代では生きづらさや対人関係に悩みを抱えている人の声が多く散見されるが、仮に自分たちの世代が特に心が弱く「理不尽に適応できなくなっている」のだとしても、心や実感はついてこない。ひとえには状況が違う。「厳しくも愛があった」というのは振り返りで、あとから理解した理性的な感想である。それを正当化しなければならなかった理由があったというのもまた事実だと思う…しかし、これは言ってみれば負の連鎖ではないのか。人から受けた理不尽は、確実に後の世代に返っている。

これは僕の知識の点をつないで描いた想像でしかないが、非常事態に個人的な幸福の追求や尊重は果たしてどこまでありえたのだろうか、と考えることがある。例えば戦争である。世界大戦、そしてその敗北、「お国のために」という大義がどれほど大きな意味を持っていただろうか。そしてその後の焼け野原からの再興、社会が変わらざるを得なかった”超スピード”に、人の心は追いついていけなかったのではないか、という気がしている。

近代以降の社会は「富の最大化」を目指して成長を続けてきた。たくさん食料があれば、物資があれば、製品があれば…そしてその供給がされるならば、多くの人の生活が確保される。細かいことはおいておいて、その辺で野垂れ死ぬ人が減る。多くの人が幸せになれる。使えるものはできるだけ共有して苦しむ人が減るようにしよう。そういうハッピーな世界を目指していたはずだ。しかし…どうだろう。最大化されたはずの富は分配の問題を抱える。階級や身分の差はなくなってきつつあるが、今度は能力による差が生まれている。

より多くの評価や収入を求めて、できるだけ優秀になるために日夜プレッシャーを感じながら人は自己実現に向かう。頑張ってやれる人ならまだいい。いきいきと前向きに努力を続けられる人ならそれでもいい。しかしできない人はどうなる?努力を強制されて、精神的脱落者に受け皿はない。「ああしろこうしろ」「頑張れ」「ちゃんとやれ」と無意識化に言われ続ける。現実は否定され続けもう見たくもない。娯楽、推し活、性…苦しみから逃れるために心理的な麻薬が必要である。これが生きづらさでないならなんなんだろう。

 

「自分は行動している」という自信、あるいは乗り越えたものの発表会で今日も世界は大いに賑わっている。自分のことを語りたいのだ。そういう欲求はとてもよくわかる。負った傷をどのように治癒させたのかを見せ合っている。僕が好きだった芸術にもそういう側面があったと思う。治療法を公開することで、違う誰かが救われるかもしれない。未来に向けた祈りだ。なんて素敵な世界だろう!でも本当に、その大義は「誰かのため」なのか?誰かを救いたくてやっていることなのか?それとも、どんなに苦しんだか聞いて欲しいだけなのか?

その経験は誰かを救うのだろうか。人を痛めつけ、痛めつけられた記憶は、自分たちだけのものではないと思う。その後何年も残り続ける。寝て明日になったら忘れる…はずがない。傷は残る。治っても跡が残る。一生消えない。…消えないのだ。

 

今更過去のことに対して、なにかを恨むつもりはない。だけど…納得もできないのである。自分の中に矛盾がある。それは僕が悪いわけではないけど、間違いなく僕が責任を持って向き合わなければならない問題であると思う。

こんな状態で作品を作るなんてそれこそ嘘である。悩みながらも、やれそうなことをやって飯が食えたとして、なにが残る?毎日なんの感慨もない生活をしているが、中途半端なことを選ばなかったのは本当に良かった。本当の表現は心の傷の治療の先にしかない。

体験を還元するなんてそんなおこがましい話じゃない。生きるに値するということを、過去にわずかでも感じさせてくれたこの世界のことを、僕は肯定したい。というかせざるを得ない。生きてきてしまったからである。その一点だけが、僕を辞めかけている制作にギリギリでつなぎとめている。僕が受けた傷の連鎖は、僕の代で止める。なにか作る能力が僕にまだあるとしたら、そのときの大義はこれしかないだろう。飯はうまい方がいいに決まってるから。