昔の自分に戻れない

 

 

「鬱は治ることはないんだ。ずっと付き合って生きていくしかない」…本当である。鬱は完治しない。寛解があるだけで、自分でコントロールして抑えたつもりになっても、ある時ふっと、死の匂いがする。前触れはない。脳の回路がシャットダウンされて、暗転…。パソコンで立ち上げたアプリケーションが急に「落ちる」ときに似ている。

これではいけないと思い、心療内科に行っている。僕は投薬はされていない。知り合いの話を聞いたりして、原因になるものをはっきりさせないことには、薬の量の増減になるだけで、物事の根本の解決はできないと思ったからである。その代わり月に何回か、心理士のもとへカウンセリングに行き、自分の頭の中を整理する時間を作っている。

ちなみに、全く本筋と関係ない話ではあるが、「鬱」という症状は本来中年の、特に男性に現れやすい脳のホルモン異常のことで、活発に仕事をしていて趣味もあり、充実した生活を送っているような人が、ある日突然全てのやる気をなくして無気力無感動になってしまうことをいうそうである。今、僕を含めて、若い人がしきりに鬱、鬱と言うようになったその多くは実は「適応障害」と呼ばれるもので、鬱とは違う。その名の通り、なにかに適応できなくなるのだ。適応障害には多くの場合原因があって、例えば職場の人間関係とか、悩み事とか生活環境の変化である。または、それまで騙し騙しやれていたことが、何かのきっかけで閾値を超えてしまい、耐えることが難しくなる。脳の拒絶反応なのだ。だから、そういう原因を取り除けば回復していく場合がほとんどらしい。

僕は中年ではないから、おそらくは鬱ではなくて適応障害だというのが正しいのだろう。でも、医学ではそういう症状をひっくるめて鬱なんだと呼んでいる。実際は丁寧に状況を整理したり、あるいは不安や悩みの種から距離を置くことで解決する問題だったりもするが、投薬でその場しのぎの治療になってしまっているケースは多いそうだ。

そういうわけで僕の場合はカウンセリングに行くことにものすごく意味がある。自分の中でなにが問題で、なにが矛盾していて、なにが苦しいことなのか…やっぱり作品を作る以上は無視したり避けたりすることはできないと思うし、考えることが苦しかったとしても、その自問自答をやめることはない。そういうものをひとつづつ解いて、自分自身の理解を深くしていくことが、今は自分の生きる意味になっている部分がある。

 

しかし同時に、鬱をやって、以前みたいな考え方とか生き方はもう二度とできなくなってしまった、という寂しさに似た哀愁を感じることがある。鬱(適応障害)は脳の拒絶反応だと言ったが、それはつまり「同じやり方を今後も続けることは難しい」という自分自身からの警告なのである。なぜ寂しいのかといえば、長年、自分を構成していた考え方、理屈や癖…要するに、「自分が自分である」ということそのものに関わるからである。自分自身が「自分はこういう人間だ」と思っていたことを根本から変える、もしくはそれを否定して人格を新しく作り替えるようにしないと、生命維持自体が危うくなる。

鬱になって自死を選ぶ人は多いが、これはかなり自己矛盾的な問題を孕んでいる。「死ぬくらいならもう苦しいこと全部捨てちゃえばいいじゃん」などと言う人がいたりするが、これはものすごい言葉である。抱えているものを全て捨ててリセットしたら、おそらく自分はもう自分ではいられなくなるのではないか、そういう、自我を作り替えることの恐怖である。本居宣長は、悲しみを乗り越えることは悲しんでいる自分を否定することである、と言ったそうである。だとすれば苦しみの果てに死を選ぶことで、苦しみを感じている自分を肯定することはできるのだ。自分は自分であるという意味で終止符を打つ。自死とはそういう意味も持っている。と考えることもできる。

 

僕は自分であることを捨てなければいけなかったし、自分が自分のままでいたら、いつか命まで捨てなければならなかった…そういうところに行き着いてしまった。本気でそう思っている。だから、今生きてこの文章を書いているのは、自分でありながら…自分の形をなしていながら、どこか中身が自分ではないような、自分ではないなにかなのだ。そういう感覚がある。

僕はずっと自分自身のことを、きっと心のどこかでは肯定しきれていなかったから、病院に行きメンタル洗浄を行って、アイデンティティを作り替え、性格も変え…「それでも生きていよう」という方を選んだ。僕は半分死んだ。半分くらいは残ったかもしれない。残りの半分。あとは髪の毛とか老廃物みたいなものと一緒に下水に流して、まだ言い足りないことを言おうと、懲りずに机に向かっている。

鬱をやったからこそ、底抜けに楽しくポジティブで、無条件に何かを肯定するようなものの存在自体、なにか懐疑的な思いがする。大事なことを隠し、見ないようにしているんじゃないか。ドラッグのようにアッパーでハッピーで、全てが希望に満ちているような世界は現実にはありえない。こんな世界に生きていて、そういう表現があり得るとしたなら、それはあまりに世界の解像度が低いか、嘘になるんじゃないだろうか。そんなふうに思うようになってしまった。

物事には色々な側面があるから、それら全てが矛盾せずに正常に機能するような言葉の配線を組んでいくには、どうしても複雑にならざるを得ない。なんとかして組み終えて通電しても、あとから点検すら難しいほど、理論は複雑になる。表面上ではきちんと動作しているように見えたとしても、どこかに違和感があるような気がしてくる。

 

僕たちは、必死に強くなろうとして、毎日を懸命に生きる。修行するかのように生きている。できることが増えるし増やす。逆にできないことは減っていく。弱者だと指をさされて笑われないように、悔しい思いをしなくて済むように、惨めな気持ちにならないように、自分の中の弱さを克服し、少しずつ、自分でも気づかないうちに強くなっている。

しかし「強さを得る」とは、不可逆的である。強くなったら、弱かった自分に戻ることはできない。自転車が乗れなかった頃に戻れないように、絵が下手だった頃に描いた線が二度と描けなくなるように、”そうなって”しまったあとはもう、以前のようには戻れない。強さにはそういう性質がある。もし、弱い気分になりたければ…肩に手を置いてそれに共感し、誰かを励ましたいと思う時には、そういう”ふり”をするしかなくなる。

 

最初の鬱についての台詞はある人のもので、お互い精神的に参ってしまった経験を持っていたことをきっかけに話していたときに言われた。何があったとか、人の心に足跡を付けずに上手に聞き出すような話術は僕は持っていないので、詳しく聞かなかった(聞けなかった)が、傷の果てに何かを背負ったような背負わされたような、そういうものと闘ってついに打ち勝てず覚悟を決めたような、静かに決意をしたような、そういう表情で言っていた。あの人も、自分の死の匂いがしていたんだろうか?

背負うものの重さや、足の裏に刺さっている釘、時々聞こえてくる怒声など、そういうものを引きずって傷と一緒に生きることの方が、実は簡単だ。案外、歩き方は工夫できるものである。しかし、かなり気を遣う。めちゃくちゃ疲れる。足元しか見られない。どこまで歩いたって景色なんか見る余裕はないのである。それならばそこに座ってしまって、歩くのをやめた方がいい。それでも、なぜだか分からずも歩いていきたいとしたら、何のために歩くか、である。景色を見たいか?好きな人に会いに行きたいか?自分の死に場所を探すか…この旅の目的はなんだろう?

僕は、今は満足している。今文章を書くことで得られている充足は、美術の創作からは全く得られなかった。そういう感動がある。僕はやり方を間違えていた。作品の作り方がここへきてようやく理解できたような、そんな感じがある。自分でどうなるか分からないまま、衝動のままに書き始める。書き終わる時になって、少しだけ書き始める前よりも自分のことを知る。その繰り返しである。だから、前回の文章よりも今の文章の方が僕にとってはリアルなものである。意味が大きい。より深い。だから書き続ける意味もできた。大事なことはただひとつ、嘘を書かないことだ。頭を傾げたまま投稿ボタンを押さないこと。わからないなら「わからない」と書いて終える。それで良い。そういう半端な状態でも、それが本当のことなら、それでよかったのだ。

 

…ちなみに、その人の話はこう続いた。「鬱は治らない。薬を飲んで治るようなことじゃない。かと言って悪いことでもないと思う…ちょっと心がつまずいただけ。もしつまずかなかったら「こんなところに石があった」なんて気づかなかったかもしれない。もし、気づかなかったとしたら、同じところで何度もつまずいてたと思う…少しづつ、変わっていってるんだ。進化してるんだよ」