死に損ない

 

 

数年前、仕事を突然やめ、海外に行こうと思った。

大学を卒業する僕には、作家一本で生計を立ててやっていく気合や根性は無かった。いわゆる「卒制ブースト」と呼ばれる、卒業制作で”すごいの”を作り一発ぶちかまして、そのままどこかから声がかかり作家人生がそのまま軌道に乗ってしまう”あれ”とも無縁…どころか、いまいち自分が何をやりたいのかも見えず、表現方法も確立できないまま節目を迎えてしまったのである。タイム・アップ。

卒業式とは得てして晴れやかなものだ。晴れ着の模様、カメラのフラッシュ、誰かの泣き声、または爆笑。誰かが胴上げされ、地面に落下…といった阿鼻叫喚、笑いあり涙ありの「情緒大忙しイベント」であるはずだが、僕はカメラを向けられるたびにしけたつらを構えていた。あーあ。終わっちゃったよ。どうするんだよ。モラトリアムの強制終了である。卒業するまでに思い描いた人生の淡い計画から、大きくズレの生じた答え合わせ。かくして僕は大人しく就職を選び、仕事に忙殺される日々を送ることになった。

 

最初こそ「就職したって作品を作り続けることはできる」と息巻いて、学生時代と同じか、時間が限られているぶんそれ以上に展示に足を運び、本を読み、ひたすら自問自答し連日深夜まで作業を続け、翌日は仕事に寝坊し上司に呼び出される日々を送った。思うように進まない自分の制作。少しずつ出世していく同級生たちの活躍をSNSで見ながら、六畳の狭いアパートで安い缶の酒を飲む。ちくしょう、このままじゃ終われない!

毎日がキリキリ舞い。挑戦と積み上げ。失敗してもまたやり直す。仕事を深夜に終え、帰宅。家事。風呂。勉強。エスキース。スケッチ。寝落ち(というかほぼ気絶)...毎日持てる限りを尽くして、駆け抜けた。

眼の奥は燃えていたが、身体は限界だった。慣れないデスクワークで背中と腰が痛んだ。肌荒れがひどく、ストレス性の胃腸炎で何度も高熱を出した。それでも、音楽と芸術は僕を奮い立たせてくれた。これだけ生きる力をくれたのだから、絶対に恩返しがしたい。もらったものを返したい。その「大きな営みの一部」に、自分もなりたい。その一心だった。

 

ある日、いつものように深夜に仕事を終え、終電を逃して自宅まで歩いていた時のことだった。会社から家まで大体1時間くらいの距離。普通、帰れなくなるまで仕事するかね。運動不足だったし散歩にちょうどいい。皮肉と缶ビールを片手に歩き出すと、道の反対側にいた人に声をかけられたのだった。

「この辺にバーはないか」と彼は訛りの効いた英語で言った。日本人じゃなかった。旅行に来ているらしい。若い人と飲みたいから、店を教えろ、と。そんな店あったら俺だって行きたいわ。

「この辺だったら、この通りをまっすぐ行って突き当たりを左に、信号渡って少し行った不動産の角を右に入ると小さいスタンドがあるよ」...ということを、頭の中で英語に翻訳しようとしてめんどくさくなり、出てきた言葉が「カモン」であった。「来い」と言われたら相手だってついてくるに決まっている。おかしいな。こんなはずではなかった。

しかし人生とは面白いもので、なんやかんやあって、そのあと仲良くなった。聞けば彼も芸術を志しているらしい。彫刻をやっているという。歳も一つ上。違う国で違うものを見て育ったのに、なぜか話が合う。僕は英語が流暢ではない。何を言っているか正直あまりわからない。ノートを出して時々絵に描いたり、単語を調べたり、色々な手段を使いながら話した。でも、なんとなく彼の言っていることは伝わっていたし、僕の言うことも、彼は分かってくれているっぽかった。

彼が日本にいたのは2週間くらいだったと思う。滞在中何度か会った。一緒に展示を見に行って、バーで芸術のことを話して、寿司を食わせたり色々案内した。離れる時、「一緒にいつか作品を作ろう」と言って別れた。連絡先も交換した。繰り返す毎日に、夢を見ていたような気分。少しでも未来を良くするんだ。彼と約束した。彼を見送ったその週末明けの月曜日、不思議な予感と胸騒ぎがあった。なにかが始まるんだ。…まだ終わってない!

 

「ベルリンに来い」と彼は言った。彼がいるアパートに空き部屋があるらしい。仕事をしすぎだ、と。たびたび僕は彼に愚痴を言っていた。「お前の考え方や人間性が素晴らしいと思うから、一緒に何かやりたいんだ」「お前は芸術をやるべきだ」どこまで本気で言っているのか分からないが、彼はいつもそう言ってくれた。

僕は、作品を作れるかどうかとかはもうどっちでもよくて、息切れした毎日からただ誰かに助けてほしかった。手を掴んで、どこかに連れ出してほしかった。彼は出会ったばかりだけど、嘘をついたり、人を騙すような人間じゃないと思った。ただ、なにか良いエネルギーが彼のところにある気がして…それから、この縁しかないとも思って、辞表を出した。それが2019年の春。

仕事を辞めると決めたら踏ん切りがついたのか、または気持ちが変わったのか、今までの自分の作風から変わったアイデアが出てきた。展示をやらせてもらえることになってその準備と、住んでいたアパートを引き払って実家へ引越したのと、あと仕事の声をかけてくれる人が何人がいて、渡航費用の足しにしようと忙しく動いた。会社員に比べて収入は大幅に減ったけど、これから始まる何かへの期待で胸がいっぱいだった。僕は海外に一度も行ったことがない。どんなところで、なにと出会えるんだろう。早く彼に会いに行きたかった。

 

色々準備をしながら出国の時期を見ていたとき、「クルーズ船」のニュースが飛び込んできた。新型ウイルス。感染力が高い?船内が大変…ふーん。よくある類のものだろうと思っていた。それが、あれよあれよという間に、ニュース番組がほぼ新型ウイルスのことしか話題にしなくなり、感染者の数字を追い、テレビもSNSも、新聞も、「ドイツ語の勉強に」と思ってかけていたドイツのラジオも「COVID-19」の単語に次々と”感染”していった。

出国どころか外出すらできなくなり、仕事はほぼなくなった。渡航のための貯金と一緒に気持ちも崩れていくようだった。それでも、薄暗い部屋で自分ができることをした。そのうちおさまって、またいつもみたいに戻れると思っていた。その時のためにドイツ語の勉強を続けた。どうにも状況は変わらなかった。こんな時こそと思い制作にも勤しんだけど、どうにもネガティブなことしか生まなかった。

そのうち…大学を卒業してからも燃やし続けていた火が勢いをなくした。燃料がなくなったというより酸素が薄くなった感じで、燃料をあげればあげるほど期待が大きくなり、火が燻るばかりで熱がなくなっていった。今までみたいな作品じゃダメだ。もっと芸術のことも、歴史のことも勉強しないと。新しく、面白く、重層性があって、皮肉も気も効いていて、グロテスクで、キッチュで安っぽくて、軽くて、消費的で、暴力的な…

 

結局、ドイツには行けなかった。日本でまだやり残したことがあるんだろうと思って前向きに考えてみた。足を止めちゃいけないと思って、仕事に忙殺されていた時期と同じかそれ以上に本を読みふけった。朝起きて食事をして部屋にこもって、夕飯ができるまで本を読み続けたこともあった。その頃から心療系の本も読み始めた。本当に脳が欲している必要な情報というのはすらすらと頭に入ってくる。小難しい芸術論より、今の自分に希望を与えてくれる、救ってくれる一文を探すようになっていた。

でも、読んでも読んでも救われるどころか、自分の嫌な記憶、苦手なところ、見ないようにしていたものばかり思い出した。知りたいことは知れたけど、同じくらい分からないことも増えた。世界がどうして平和にならないのか、この時になんとなく分かった。善い人が救われるなんて都合の良いことも起こらないのも分かった。そもそも、善いとか悪いとかも非常にはっきりしない。心が温まるようなことが薄っぺらく、許せない話はどうでもよく感じるようになった。

音楽を聴いても何も感じなくなった。外を散歩しても、景色が流れていくだけで何も思わなくなった。昔から実はそうだったんじゃないか?酒を飲んでいて気持ちが良かったとか、感情がふれていただけなんじゃないか?とも思ったが、何か違うと思った。

 

実家は、マンションだった。中学生の頃、思春期の色々で一度だけ「死んじゃおうかな」などと思い(若気の至りである)、最上階から身を乗り出したことがあった。足がすくんで見事にやめたが、そのことを思い出した。もし死ぬなら飛び降りは嫌だろ。怖いもん。

また、死が近くにやってきた。辛いから死にたい、というような意欲的なものですらなく、死んだらどうなるんだろう、という興味。悪魔かなにかが手招きしている。こっちは楽しいぞ。

もし僕がフッ軽の陽キャだったとしたら、その悪魔が主宰してるパーティーかなんかに、終電間近でも駆けつけたかも知れない。生憎根暗なのである。縄を首にかける元気もなかった。多分死にたいわけではなかったんだと思う。多くの場合「死にたい」というのは生きたいと同義である。本当に死にたい人は勝手に死ぬからだ。でも、生きてもいきたくなかった。死にたいわけでもなかった。この時に、死ぬことも生きることの一部なのかもな、と思った。僕は生きたくなかったから、死にたくもなかった。何もしたくない。

「あの時はなんであんなに頑張れたんだろう」…自分がなにか人間として決定的なものをなくした気がして落ち込んだ。あの頃の自分が見たらなんて言うんだろうか、と妄想した。いろんな希望の言葉を持ち出して説教されたかもしれない。そしたら僕は彼の頬を平手打ちして、AIみたいな大味の「希望」をサジェストして自己満足するな、と言ってやる。

そのうち「もう終わりにしよう」と心の中で声がするようになってきた。これはまずい、と思った。よくも悪くも、必要なのはやる気なのである。意欲。どうしよう。


ぼーっと考えながら、窓を開けて青空を見ていた。雲が流れていった。やさしい風がふいて、網戸にたんぽぽの綿毛が一つ、引っかかった。しばらくそれを見ていた。

どこから飛んできたのかわからない。小さい頃とかに、綿毛をふーっと吹いて散らしたことはあっても、着地する瞬間はあまり見ない。こうやって飛んでくるんだ、と思って、気がついたら涙がこぼれていた。なんとなく、それを植えて育ててみたら良いかもと思って、鉢植えが欲しくなった。久しぶりに出かける準備をした。

でも、綿毛を回収して、ティッシュかなんかに包んでおこうと思って机の上に置いたら、また風がふわっと吹いて、見失った。部屋の中のはずなのに、そのまま失くした。

今、僕は、あの綿毛みたいなことがたまにあるから生きているだけなんだと思う。何かに生かされて延命されている。ほんとにダメだと思った時、「お前にはまだ早い」と誰かが言ってきて、あと1日、あと1日生かされている。ような気がする。そう思うことにしている。だから心配いらない。多分死なない。希望がなくても、抗う気もない。ただ静かに、延命を繰り返すような毎日。大きな目標も喜びもない、静かでささやかな毎日。

幸せとかいうのは、もう少しこうパーティー感というか、パーっと楽しい出来事が花火のように起こるようなイメージだったけど、こういうものなのだろうか。