音楽と母

 

 

僕は音楽が好きだ。周りに音楽好きの友達がたくさんいたから、教えてもらって音楽を聴くようになった。中学の頃までは、流行りの音楽もわからないような人間だったので、完全に布教されたのである。初めて友達に「ゆらゆら帝国」を聞かせてもらった時のことを、僕は一生忘れないと思う。

それからは音楽を掘ることにどっぷりはまってしまった。知識があるわけじゃないけど、自分がのれる曲だったら広く浅く、ロックもクラシックもジャズもテクノもヒップホップも、ジャンル関係なくなんでも聴く。音楽を聴いていると胸が熱くなるし、嗚咽するほど泣くこともある。電車の中でよく涙目になって、世界がちょっとだけ悪くないなと思ったりもする。

 

今はネットで色んな音楽が簡単に聴けるので、凄いことだと思う。昔はCDショップに行って、お目当てのアーティストを探したり、アルバムのジャケットだけで選んで買ってみることもあった。なんというかそれもひとつの出会いで、偶然性があるのが面白かった。そんなことをしてると当然「家に帰って聴いたら全然良くない」みたいなことがあり、フリスビーかコースターに…はさすがにしないけど、持て余してしまうこともあった。そういうのが楽しいと思っていた。

完全に余談だけど、「本」であるとか「CD・レコード」の類が電子版や配信に置き換わることによって、物語性が失われたみたいな論がある。物質としての本やレコードにはケースを「開く」「閉じる」という空間的な行為が必要だから、自分と地続きになっていて、自分の行為によってシーケンスが移っていくという。これが部屋のドアを「開いて」「閉じて」別の部屋に移動する、みたいな身体性であって、ある意味で「本」や「CD・レコード」が建築的だ…という話。

僕はそういう行為を意識して楽しんでいるわけではないけど、なんとなく電子書籍や配信よりも、実物の本やCDやレコードの方が嬉しい物質主義者だから、そういう理由があったのかなとか思ったりした。お店に行って買うのと、ネットで買い物するのと何が違うかみたいな話も、ここにあるんじゃないだろうか?

 

学生の頃にバンドもやったりした。みんながそれぞれ違うパートを演奏して、それが一つの曲になる感じも好きだったし、聴いている音楽のクセとか個性が出るのも面白いなと思った。

そういうこともあって、音楽を聴いていると、世代も国も違う人とコミュニケーションをとれることがある。お店で飲んでいて、知らないおじさんとキングクリムゾンやイエスプログレッシブロックのバンド)の話をしていたら、一杯奢ってくれて…みたいなことがあった。バーで会ったアメリカ人がナンバーガール好きで、意気投合して後日一緒にスタジオに入るみたいなこともあった。コミュニケーションが上手ではない自分にとってはよい話題になる。と同時に、音楽という文化の凄さを、改めて気づかされるのだった。音楽は本当に楽しい。

 

で、僕がなぜ音楽好きになったのかというと、多分、母親の影響が大きいと思う。

母はちょうどクイーン世代だ。だから、僕がロック好きなのも多分そういうことなんだろうと思う。僕が小さい頃によくステレオで色んな音楽を流していた。ショパンとかリストも聴かされた。JUDY AND MARYとか、ミスチルなどもよく聴かされた。

小さい頃聴いていた音楽は耳馴染みがあるので、何年後かに聴いても、結構感動したりする。当時のことを思い出したり。年頃になって音楽に興味が出てきて、実は家にずっとあった(それまで気に留めなかった)親のCDを引っ張り出して聴く…みたいなことって結構色んな人が経験あるんじゃないだろうか。

 

音楽に対する感慨は母親からの遺伝の影響が大きい、みたいな研究がある。胎教で音楽を聴かせることはちゃんと意味があって、音楽を聴いて鳥肌が立つみたいな体験も、母親の感覚を受け継いでいるんだというのを何かの本で読んだ。母とは特に音楽に関してコミュニケーションを取ったことはない。でも、映画「ボヘミアンラプソディー」を2人で見に行ったとき、結構饒舌に当時(70年代)のことを喋っていたし、「日本の人って静かに映画見るよね。私歌いたくなったわよ」と言っていた。それを聞いて「あ、この人の血か…」と思った。

母とはあまり話をしないから、僕は母の好きなものがあまりわからない。母はよくテレビを見て大笑いしているけど、僕は全くテレビを見ないし、母は僕が作っている作品のこととか、あまり気にしていないと思う。時々作品を見せるけど、わかんないわ、というような反応をする。共通の話題はほぼない。

でももしかしたら、向こうもそう思っているかもしれない。僕は小さい頃内気で気弱で、あまり母親と会話した記憶がない。小さい頃は色々あって、いじめられていたこともあったし、特に大きな病気はなかったけど、病院にいくことも多かったから、相当心配をかけたんではないかと思う。

 

そんな母には大切なものをもらったのだ、という話。

僕は、大学を出た後に就職をして、ひとり暮らしを始めた。大学は実家から通っていたから、その時が初めてのひとり暮らし。何時でも遊びに出かけていいし、好きなものを食べられるし、好きなだけ寝ていられる。最初は気楽で、とても楽しかった。

仕事に慣れて、色々なことをするようになると、責任感とかプレッシャーがあって、毎日遅くまで働くようになった。家に帰れない日が続いたりもした。締め切りと修正に追われて、自分が何をやっているのかわからなくなるような感覚になってきたことがあった。それこそ家には寝に帰るだけのような生活をしていたので、1人で酒を飲んで、1人で寝て、また起きて…多分、鬱っぽかったと思う。

その日も、連日遅くまで仕事だった。終電を逃して、歩いて家まで帰っていたときだった。僕はたまたまクイーンを聴いていた。コンビニで缶ビールを買って、1人で歩きながら飲んでいた。とたんに胸が熱くなってきて、イヤホンから流れてくる曲を歌いながら歩いた。深夜の2時くらいだったと思うけど、大通りを歩いていて、車がガンガン通っていたから、車の音に重ねるようにして大声で歌った。気づいたら泣いていた。こらえていたものが浄化されるような感じがあった。

僕は母のことを思い出した。お酒の勢いも借りて、「耳が聞こえるように産んでくれてありがとう」とメールをした。音楽に救われたのだ。ずっと僕は守られていたんだと、その時に気づいた。

 

思えば、僕は今も、美術と音楽に生かされているようなどうしようもない人間で、もしそれがなかったら多分昔に命を絶っていたんじゃないかと思う。美大に入ってから、そういう人が他にもたくさんいることを知った。胸が熱くなるような感じとか、好きなものの話をできて、それを共有できることが嬉しかった。

音楽や芸術は、誰かが傷ついて、それでも「世界は綺麗なんだ」って伝えようとしてくれているようなものだと思っている。大なり小なり表現の振り幅はあると思うけど、ただうるさいバカみたいな歌詞の曲も、ものすごく緻密に練られた構成の映画も、落書きみたいな絵も、みんなこの世界が好きだからこそ作られたものだと思う。少なくとも、僕の好きなアーティストや作家はそう歌っていたし、言っていた。

そういうものがこの世界にあることと、そういうものを小さい頃から見せたり、聞かせてくれたことを思い出すと、僕は最近、とても幸せな気持ちになるのだった。僕にとって音楽は、母からもらった愛だ。

 

先日、母が還暦を迎えたので、色々思い出して書いた。