歳をとるということ

 

 

熊谷守一という画家が好きだ。数年前、東京で大規模な回顧展をやっていたし、かなり有名な人だから知っている人も多いと思う。仙人みたいないでたちで、亡くなる寸前まで絵を描いていたそうだ。熊谷さんの絵は文章で表現できない良さがある。文章にするとそこにある大事な「アウラ」のようなものがなくなってしまう気がする。僕は熊谷さんの絵にそういう魅力を感じた。絵を見て涙が出たのは初めてだった。

自宅の庭に来る猫や虫、小動物、花などを描き続け、「モリカズ様式」と呼ばれる、赤い輪郭線で区切られた構図で描かれた絵が有名だけど、若い頃は風景画・人物画などもよく描いていたそうだ。昔の絵を見ると、同じ人が描いたとは思えない違いがある。よく知られている猫の絵は晩年にかかれたものだ。シンプルな画面と明快な色彩で場面を捉えるようになったのは、長年の試行の結果らしい。ジョルジュ・ブラックピカソの美術批評を寄稿していたこともあったそうなので、もしかしたらキュビズムの影響も少し受けているのかもしれない。

 

いちファンとして1人の作家やバンドを追っかけていると、年代によって作るものが全く変わっていくのがわかる。例えば、ナンバーガール向井秀徳は、初期は夕方とか透明とか放課後とか、夢かもね、みたいなことを歌っていたのに、後期になると夜とか街とか軋轢、性みたいなことを歌い出して、繰り返される諸行が無常になり、南無阿弥陀仏を唱えて解散したあと、現在は座禅を組んでいる。
だから「この頃はこんなことを考えていた」とか、時代がこうだったとか、それこそがまさに歴史であって、芸術や音楽が時代を語っていくものになる所以だろうと思う。熊谷さんもそうで、作品全体を通しての色というか、作家としてやっていることは多分変わっていないんだけど、状況や環境が変わることで描くものや描き方が変わるのだ。若い頃は写生によく出かけ、いろいろな地域で絵を描いていたらしい(だから風景画が多い)が、76歳の時に脳卒中を起こして、それからはあまり外出できなくなったため、庭先に現れる小さな生き物を観察して絵を描き続けたそうだ。僕は個人的には、これら晩年の絵も見ようによっては風景画の延長だから、やっていることは何も変わっていないと思うが、もし昔のような風景画を生涯描き続けていたら、ここまで認知される作家になったのかどうかたらればの話だけど、どうだっただろう?と思う。これは別に、有名だから良いとかの話ではなくて、そういう身体的・環境的な条件や状況が作家のイメージを大きく左右することは確かにあるという話。
本当のところ、作家が何を目指していたのかは本人にしか分からない(本人にも分からないこともある)し、批評家や評論家が分析したことが通説として世の中で言われていたとしても、それは捉え方と考え方の話であって、「実際どうだったか」は謎だ。謎だけど、僕たちは今あるものからそのことを丁寧に写し出して解釈するしかない。熊谷さんは第二次世界大戦の頃にお子さんを2人亡くしている。そういうことがあって、生きているものへの眼差しを大事にしていたそうだ。「生きることが喜びである」というような言葉も遺している。そういう言葉や作品の断片に僕が理解の影響を受けていても受けなくても、熊谷さんの絵からはそういう優しさや愛が見える。気がする。
少なくともそういう、作家の人間的な側面が芸術鑑賞の上で重要な意味を持っていることは明らかだ。ある時からもう、作品も作家も同じように商品のように消費されていくような時代であると思うけど、作品がそういうバックボーンを前提に生まれてくる以上、作家にスポットライトが当たるのは当然といえば当然だ。

芸術作品は時代を映し出す鏡だ、とか言われるように、時代であるとか、環境が作品の性格や傾向と関係しているようなことはしばしばだけど、それ以上に、作家の身体性こそ作品と密接に関わっているのだと思う。今でこそデジタルアートやメディアアートなどの、作家のフィジカルから切り離されている表現の形式もあるけど、ほとんどの作家は身体で作品を作っている。単純に大型の作品を作り抜く体力とか、力強さとか、絵や造形が上手い/下手というのもある意味フィジカル能力だろう。身体性が作品および作家の個性になったりするということだ。繊細な作品を作る人は繊細な印象の人が多い気がするし、それは作家のキャラクターの話でしかないけど、人間の「ガワ」の印象に近い作品になるのが自然なんだと思う。だから、身体が動かなくなるということは作品の形が変わることでもあるし、制作における可能性が減っていくということでもある。

先日、僕は学生時代に作品の指導を受けた先生に会って、久しぶりにお話をすることができた。先生が若い頃作っていた作品は人間よりも大きなものばかりだ。それこそ石や木などを建築のように積み上げて造形物を作る。リチャード・ロングやウォルター・デ・マリアのような70年代のランドアートに影響を受けた人だ。その先生が「昔は僕も全身を使って作品を作っていたけど、今では昔のように身体が動かなくなってしまった」そうで、自分ができる表現に今一度向き合っている、と言っていた。先生は僕より二回り以上も歳が上の人だから、身体が動かなくなるのはそれはそうだろうと思うし、同時に、いつかは自分にもそういう時がくるのだということを改めて気づかされた。もしかしたら、事故かなにかに遭うかもしれないし、そうなったら今と同じような作品を作るのは無理になるんだろう。
僕も、今熱心にやっているシリーズに取り掛かる前は、空間を大きく使った作品を作っていた。インスタレーションというやつだ。建て込みや美術の仕事をしている経験はそこに生きているのだと思う。まあ、先生のいたゼミがまさにそういう作品を志向していたから、「そういう影響」をめちゃくちゃに受けているとは思う。そもそも建築や環境造形が好きで芸術の道に入ったから、僕は芸術はほぼ独学で、まともな勉強をしていない。大きく、物質的で、人間の身体を包めるくらいの空間で追体験をさせるような作品がかっこいいと思っていた。もしも身体が動かなくなったら、そういう作品を作る時はもう、自分が企画書や図面だけ書いて、誰か設営を人にお願いするようなことになるだろうと思う。それでも別にいいのかもしれないけど、僕は自分で手を動かすのが好きだから、多分それはあまり気が進まないかもしれない。その時になってみないと分からないけど。
今やっている作品に妥協はないけど、まだ身体が動くうちにできることを考えてみるのも一つの方向なのかもしれないと思った。最近は本を読んだり調べ物をすることが多くて部屋に閉じこもりがちだから、作品も机の前だけでできてしまうようなものになりつつある。これはものすごくもったいないことかもしれない。

作家は、どうしたって作品を売って生計を立てなくてはいけないから、作品を売ってちゃんと利益が出るように値段をつける。すべてが経済活動に組み込まれている今、よほどの資本力を持っていない限りは道楽で作品を作り続けることはできないと思う。売らなければならないし、ときには売れるかたちを選んで作品を作らなければならない。これまで自分がやってきたインスタレーション作品では、たとえ依頼を受けて作品を制作したとしてもほとんどの場合赤字になる。インスタレーションはその特性上、購入という形式が取れない。そうやっていろんな事情があって作品の形式が変わるというか、少し違った形式の作品に挑戦することも必要なことだと思うし、個人的には悪いことじゃない思う。でも、逆に、作家活動を継続するために自分の希望ではない形式を選んでやっていくのはかなり厳しい選択かもしれない。「作りたくないけど、売れるから作る」ということも世の中には確かにある。

「今の自分にしかできないこと」は多分、昔の自分にはできなかったことだと思うし、それこそあと10年もしたら感覚が大きく変わって「できなくなってしまう」ことかもしれない。それこそ先に書いたような、身体上の理由でできなくなっていくことも含めて。最近は、こと「人と比べて」とか、「誰々がどうのだから自分がどうだ」とか、(特に僕は)そういうのを比較して気にしがちだけど、歳を積み重ねてきた自分が「今だから」できる・考えられることをやっていく、という方がよっぽど健全な気がする。それは自分の内側に立ち返ることだし、自分にとって何が大切なのかを考えることでもある。鏡がなければ、人は自分の顔を見ることはできない。自分のことが実は一番わからないのだ。少なくとも、制作するということは自分のことを掘っていく行為であって、刻一刻と変化する自分自身、考え方もどんどん更新されて変わっていく自分の脳の中にひたすらついていって、自分の感覚を逃さないように捉えていくしかないのかもしれない。
目も、耳も、鼻も、自分の腕や足も、一日一日歳をとっていく。気づかないだけで毎日どんどん衰えている。30になって「いや~もう徹夜は厳しいね」などと笑っている場合ではないかもしれない。感覚がどんどん衰えていくのだとすれば、今自分に見えている景色が一番綺麗なはずなのだ。僕にそう言ってくれた人がいてハッとなった。下を向いて、いろんなことに絶望している場合ではないかもしれない。歳を取るのが怖いとか言っている場合ではない。今自分に見えている一番綺麗なこの世界が逃げないうちにどうにかして捉えたい。そんなことを思った。