雑記:フリースタイルブログ

 

 

最近はちょっと別のことに頭を使っていて、ブログ用の文章を休んでいる。書きたいことがなくなったとか、ネタ切れしたわけではない。むしろネタはどんどん溜まっている。携帯のメモ機能に、なにか思いついた時にメモするようにしているが、先日ついに100件を超えてしまった。書きかけの文章もたくさんある。あとは、その意欲が来るか来ないかだけだ。いつか吐き尽くすまで続けられたら良いなと思っている。

いつもはそういう”ネタ帳”から引っ張り出して文章を構成していくのだが、今回は何も考えずに即興で書いてみようと思う。実はいつも一回書いた文章は何度も見直してかなり推敲しているから、言い回しとか、語尾の関係とかはかなり選んでいる。自分が読んでいて気持ちいいかとか、読み返したくなる文章かどうかとか、そういうことを一応大事にしているつもりだ。でも、もしかしたら自分の文章の書き方に飽きるかもしれないので、新しいやり方を試してみたいと思ったというわけだ。

 

昨日、僕が好きなラッパーのライブに単身で足を運んでみた。今まで、バンドのライブならいくつか参加したことがあるが、ヒップホップのライブは初めてだった。

…まあ、率直に言えばめちゃめちゃに緊張した。まず僕には会場に知り合いがいない。なぜならひとりで行ってしまったからだ。入り口でお金を払ったあとちょっと会場を覗いたら、怖いお兄さんたちがたくさんいたので、ひと呼吸しようと思い入り口の外でたばこを吸うことにした。喫煙所には数人いたのだが、いきなり誰かが「入れよう」みたいなことを言うので、まさか(※自粛)か?と思ったら、突然テキーラを渡された。「え、いいんすか?」と聞いたけど、なんか「その場にいたら仲間」みたいな感じらしく、腕や首に墨が入っている素敵なお兄さんたちと一緒に乾杯した(というかさせられた)。

この前文章に書いたレゲエの兄ちゃんもそうだけど、こういうローカルカルチャーから生まれた音楽をやっている人たちはなんというか、懐がとても広い。すごく「人」を大事にしているような気がする。あんまりうまく話せなかったけど、「どこから来た?」とか「あーあいつを観にきたのね」みたいな会話を少しした。おかげで緊張がちょっとほぐれた。テキーラは結構好きなので美味しくいただくことができた。ありがとうございました。絶対このブログ読んでないと思うけど。

まあしかし見たい人の出番の1時間も前に着いてしまった。早く着きすぎた。仕方がないが、ライブは見たいし入場料も払ったので、会場の隅っこのカウンターに座り、素敵なお兄さんたちに囲まれながら様子を窺っていた。会場にいる人たちはほとんど顔見知りのようで、新しい人が入ってくるたびにみんなで握手を交わしていた。

最初はめちゃくちゃビビっていたが、僕は純粋に音楽を聴きにきたからここにいても良いはずだ、と自分を納得させて、会場のビートにしばらく身を任せた。しばらくこんな音量で音楽を聴くことなんてなかったから、骨やお腹に音が響いてとても気持ちがよかった。以前ネットで、「耳が聞こえない人はライブに行くのか」という話を見た。普通に行きますと言っていた。メロディや内容は確かにわからないけど、スピーカーの振動が身体に染み込んでいくのが気持ちいいし、熱気とか、揺れみたいなもの、会場の一体感が楽しいと。僕はそれを読んで、音楽は耳で聴くものではないんだと思った。音は振動だから、本当は皮膚や骨など全身で聴くものなのだと思う。感じるというか。

カウンターでお酒を頼んで、たばこを吸ったら、なんというか、身体がそういう「音楽を受け入れる状態」になっていくのである。頭が少しゆるやかに、ボーッとするわけではないんだけど、空間に溶けていく感じだ。こうなってしまえばもうあんまり人の目は気にならない。一杯目を飲み終わるかどうかくらいの時に、ちょうどその人の出番の時間が来て、MCが煽り始めたので、酒を追加で頼んで、ステージの方に行ってみた。

 

…まあライブのことは書くことがない。めちゃくちゃに気持ちがよかった。格好良かった。以上。(野暮なのでもう話さない)

 

バンドやミュージシャンは、音楽の演奏それ自体よりも、MCや曲の入りの雰囲気をいかに作るかが僕の個人的な楽しみどころだ。何を話して、どういう展開で酔わせるか、みたいなところに一番経験と技術がかかると思っている。まあ個人的な評価基準で恐れ多いけども。そもそもラップはフリースタイルの文化があるように、状況や雰囲気で即興で歌うことを変えることが自在にできるんだから、そういう展開づくりが上手いのは当然と言えば当然だ。バンドで言うならジャムセッションみたいなことだろう。

僕は美術の作品を作っているが、正直なところ、いつも音楽を羨ましいと思っている。難しい理屈をこねなくても、ストレートな言葉の表現をメロディに乗せて、しかも直接鑑賞者の耳にぶちこめるからだ。美術を貶すような意図は一切ないけど、作品を公開しても、多分僕の気持ちは観る人に絶対伝わっていないし、共感したり同化することもない。まあそれがおもしろいところではあると思うが、なんか本当にちゃんと人に伝わっているのかがいつも不安だから、結局「自分のためにやる」みたいなことを言わざるをえないんじゃないかと思う。だからと言って、別に美術がそうあるべきだという話ではないけど、そういう音楽の感覚の「速さ」みたいなものに比べると、美術はかなり「遅い」と思うので、羨ましい。

そう考えると、僕はやっぱり自分の世界を突き詰めるとかいうこと以上に、誰かと何かを共有したいのかもしれないと思ったりした。それは性格や脳のせいもあるかもしれない。とにかく「コミュニケーションが下手」だと人から言われたし、自分でもそう思ってきたし、きっと自分にそうやって暗示をかけたりもしてきたと思う。何かを共有することに対して憧れがあるのかもしれない。みんなで一体になるとか。寂しさもあるのかな、とか思ったりした。

 

前の方で酒を飲みながらDJの動きを見ていると、ライブを終えたその好きなラッパーの人がいて、目が合ったので、めっちゃ良かったです、と伝えたら、握手してくれた。あの、ヒップホップ畑の人がよくやる、一回握手してから上にずらす?みたいな感じでいつの間にか指スマになるタイプの握手だった。拳を当てながら、一杯飲みませんかと言ってみた。めちゃくちゃクールだったけど、「良いよ、俺が奢るよ」と言って僕の分も酒を買ってくれて、外のベンチで一緒に飲んだ。

本当は色々話したかったのだが、好きな人の前では緊張してしまうものだ。男でも女でも関係なく、そこは変わらない。しかも、正直僕と話すより、絶対に仲間のみなさんと飲んだ方が楽しいに決まっているので、申し訳なさもあった。でも、最近作品を作るにあたっていろいろ考えていたことがあって、同じアーティストとして、先輩として、どういう姿勢で制作に取り組んでいるのかを聞きたかった。僕は悩みがちだし、考えて作品を作る人間だから、正直アーティストですと名乗ってはいるけど、手は全く動いていない。そのことが、なんというか…少し後ろめたかった。

で、何を話したかここに書こうかと思ったけど、野暮なのでこれも話さないことにする。なので詳細は省くが、僕は彼に(ヒップホップ界隈ではおなじみ)パンチラインを食らってしまったのだった。この文章を書きながらもずっと、今後の自分のやり方について考えている。作品は、考えて作るもんじゃないかもしれない。

今、僕にとってメインの制作は「文章を書く」ことになっている。金になったらいいなとか、もっとたくさんの人に読んで欲しいとか、正直なところそんなに思っていない。まあ金になったら良いし、たくさん読んでもらえたら嬉しくはある。でも、書くのが楽しいから書いている部分が大きい。1円の得にもならないけど、「文章を楽しみにしてくれている人がいる」声をちらほら聞くようになってきて、書こうかなという気持ちになっているのも事実である。余談ではあるが、ちょうど先日、はてなブログからメールが来た。アカウントを作ってから半年経ったらしい。最初はいつ辞めるかわからないとか言っていたが、今のところやめていない。半年続いた。

 

でも、作品はどうだろう。最後に新作を発表したのはいつだったっけ。いつから作品を作るのがプレッシャーになったんだろう。昔は、たとえ誰にも見せなくても、上手に作れるだけで嬉しかったのに。最近、作品のノートすら開いていない。それが少し悲しくなった。

フリースタイルブログなので今日はこれで。しこたま飲んだのでまだ頭が痛い。