デヴィッド・ボウイが

 

 

前回、作品に対して僕が「不純」なのではないかと悩み、そういう感じの文章を書いた。

せっかくいろんな人が言葉をくれるのに、聞いているような聞いていないような、不誠実な態度でいたかもしれない。例の”パンチライン”(こちらの記事 を参照)をモロに食らってから、いや、ここで何かを掴まなかったら、僕は一体誰から何を待っているんだろうと思った。誰から何を言ってもらったら満足するんだろう。多分ずっと誰かに助けて欲しくて、ずいぶん自分勝手にその言葉だけを探していたような気がする。…そういう時、人の言葉はほとんど自分の耳に届いていない。酒なんか飲んだってなんにも変わらない。

頭の中の「アク」みたいなものをすくって、とりあえず外に出してみようと思う。文章は短くなるかもしれないし、言葉のトルクも下がるだろうが、それでもいい。これは誰かに何かを伝えるというよりも、自分の治療とリハビリのために書きたい。

僕はイギリスのロックバンド、クィーンが好きだ。母の影響である。多くの人の耳に馴染みがあると思うし、僕は「クィーンは嫌いなんだよね」という人に今まで会ったことがないから、おそらく多くの人に愛されているバンドだと思う。その中でも僕が一際好きな曲は、「Somebody To Love(以前書いた文章で、夜中に歌いながら号泣したのはこの曲)」と、「Under Pressure」である。好きな人も多いんじゃないだろうか。

「Under Pressure」は、…まあざっくり歌詞を訳すと、生きていると色んな重圧みたいなものに苦しめられ、なぜか僕たちは愛することができなくなっているが、もう一度愛を信じてみようよ、という曲である。これを電車の中で聴くと高確率で泣く。ひどいことがあったり、傷ついたり、落ち込んだりしていても、世界を信じてみたいという気持ちになる。リリースから40年も経っているのに、いまだにこうして異国に暮らす30代の死に損ないを感動させ、泣かせ、奮い立たせている。恐ろしい曲だ。


この曲でコーラスを歌っているのがデヴィッド・ボウイだ。ロック好きにはおなじみである。ボウイは本当に…なんというか、異質な存在だと思う。今僕がそう思うんだから、当時の人からしたら相当にキレた存在だっただろう。昔読んだ音楽雑誌に「時代がデヴィッド・ボウイに追いつくのには時間がかかった」と書いてあって、ライブの映像や「戦場のメリークリスマス」を観たりしたときは、ああ、この人は我々と同じ人間ではないな、と直感的に思った。この曲は、クィーンのアルバムに参加する予定だったボウイが、スタジオでメンバーとセッションをしていたときに「いやもうこんなんいいから一緒に曲作ろうぜ」と言って作られた曲らしい。クィーンのドラマーであるロジャー・テイラーがそう言っていたので、多分本当の話だと思う。

良いか悪いかは人それぞれ判断することではあるが、この曲は非常に良いと僕は思う。昨今の世の中は非常に混沌としていて、何が正しいのかとかも分からない。多様や共感という矛盾した価値観の中では、いくつもの事象のなかで各々が線引きをしなければならず、非常に面倒なことも多い。現に僕たちはそういうことに悩み、眠れない夜を過ごしたりするのである。そういう中で「愛なんだよ」と声高に歌ってしまえることが、なんともキザで、まるでヒーローのように優しく、僕を勇気づけてくれるのだ。


人はいろいろいて、僕にとっての大切な人たちと、この文章を読んでいる人の大切な人は多分違うと思う。もしかしたら、僕の苦手な誰かが、誰かの命をつないでいるかもしれないし、僕が好きな誰かが、もしかしたら憎まれて恨まれていたりもするのかもしれない。その事実はきっとあって、しかも多分変わらない。でも、明日になったら変わるかもしれないことでもある。関係にはそういう流動性がある。つまり、なんとなく人のことを嫌ってみたり、イメージを持ってみたり、容姿が良いから仲良くしたいとかそうじゃないから嫌うとか、そういう認知のバイアスを変えるために、愛というものが持っているエネルギーみたいなものを一回信じてみよう、と。「もしかしたら分かり合えるかもしれない」と思って相手と接することなんじゃないかと思う。

とはいえ僕は、そんなにできた人間ではない。人間の好き嫌いがかなりはっきりしている。オブラートに包むとか、我慢して人と付き合うみたいなことができない。人に対して先入観も持っているし、偏見もある。散々、愛が大事なんだ、とか言っておきながら、実は一番愛が足りない人間だ。それも自分でよく分かっている。散々いろんな人の曲を聴き、作品を見ても、何も受け取っていない。何も理解していない。パンチラインにぶん殴られてから数日、寝ずに考え込み、酒も浴びるように飲んでいる。どうすればいいのか分からない。ひたすら音楽だけは聴いている。その時、この「Under Pressure」が流れてきて、この文章を書こうと思ったのだった。

 

実は、ボウイは、フレディ・マーキュリーが亡くなった後も自身のライブでこの曲を何度か披露している。そのときにフレディのパートを歌っているのが、ゲイル・アン・ドロシーというベーシストだ。長年ボウイのライブでベースを担当してきた人だ。僕は正直オリジナルよりもこの2人の演る「Under Pressure」の方が好きだ。スピーカーから例のベースのイントロが流れてきて、目線を酒から画面に移した。ジョン・ディーコンの弾くベースよりも少し優しい気がする。ジョンのベースは、勇気が湧いてくる感じがあるが、ゲイルの方は慈愛があるというか。優しい。優しくて強い。なんだか画面の中の2人が、「負けるな、愛を信じろよ」と言ってくれているような気がした。まあ、大体こういうのは、感極まっているからそういう気がするだけなのだが、そのへんは結構飲んでいたため許してください。僕はまた泣いてしまった。

『アーティストは、他の人のためだけに働いてはいけないよ。最初は自分の中の何かから動き始めたことを忘れちゃいけない。そうすれば、自分のことを理解できるし、自分が何をするべきかが分かるんだ』

デヴィッド・ボウイがそう言った。僕は、何かを伝えるために作品を作っていたのか、それとも純粋に作ることが好きだったのかどっちだっただろうか。そういう意味で言えば、今一番僕にとって純粋なのは、こうした文章を書くことかもしれないと思った。