和解

 

 

志賀直哉の小説「和解」を読んだ。人に勧められて、そういえば最近全然本を読んでいないなと思い、いい機会なので読むことにした。まあ新書でもないし、かなり有名な作家なので教養として読んでいる人も多いと思うが、今回はそのことについて書く。存分にネタバレを含む内容なので、読んでみようと思っている人はご注意。

 

ざっくりとした物語の説明をすると、これは志賀直哉自身の父親との確執をめぐった心境や心象を表した私小説だ。タイトルの「和解」とは実の父親との和解のことである。私小説だから、出てくる人物も実際にいる作者の知り合いで、交友であるとか当時あったことなどが書かれていて、そういう出来事によって「自分」と「父親」との心理的な距離が変化していくような構成になっている。

自分のことを書いている小説だから、物語の中の主人公も物書きで、作中、この小説自体と同じように、父との不和を文章によって描こうと苦悩する描写があったりする。メタ認知の構造があっておもしろい。

主人公は、父との不和を書こうとして自分の中にある様々な感情を吐き尽くそうとする。不快感。憎しみ。怒り。それを書こうとする時、「本当はそうしたくない自分」というものが現れたりする。感情が昂って絶頂を迎え、怒鳴り合い、掴み合い、ついに自分が死ぬか父が死ぬか、という一触即発の状況を思い描いた時に、不意に自分の奥底から感情が立ちあらわれて、自分の本心に気がつくというか…不和の果て、絶縁や死や破壊などといった衝動とは違った結末を夢想している自分の存在に、そうして初めて気がついたりする。

 

僕が大学で教わっていた先生は僕たちに夏目漱石志賀直哉の話をよくした。だから僕は小説をほどんど読まない(というか読めない)が、彼らの作品のことはずっと頭の片隅にあった。わざわざ僕が語ることでもないが、志賀直哉の小説というのは、自分の経験と内省、それによる自我の肯定を根本においている…らしい。だからフィクション要素をほとんど入れない。「志賀直哉がなぜ死ぬまで小説を書き続けたのか。それが自分を掘る行為だったからだ」と先生は言っていた。つまり書くこと、表現することによって、自分のことを肯定し理解するために小説を書き続けたのだという。

なぜか僕にはその話がずっと心に残っていた。最近になって僕はやっと自分のことが少しずつ理解できるようになってきた。立ち止まって考えたり、記憶を堀り返して自分の作品や今までのことを振り返ってみると、自分の中に、それこそ小さい頃からあった唯一の疑問というのは「自分は何者なのか」ということだった。

 

僕にはずっと、自分の実感も当事者意識も薄かった。自分の意識が自分のものではないような気がしていた。ただふわふわと、親や兄弟や教師、周りの大人たちが言うことをなんとなく守って生きてきた。それは「そうすれば怒られないから」というようなお利口で聞き分けの良い精神というわけでは決してなかった。何をすればいいのか分からず、どうしたらいいのかも分からなかったから、レールの上を走ることがただ自分の安心だった。でも、一方で周りの友達の意思決定や自我が羨ましかった。

ある日突然レールを降りて、自分の足で歩き出すような決定をした友達のことを、周りの人たちは「うまくいくはずない」と言って憂いたけど、ああ、彼は自分のことを分かったんだなと思った。そういう話を聞くたびに、自分と彼との自立に対する意識の差を感じてしまい、自分が惨めな気持ちになったりもした。自分は何のために生まれてきたんだろう?何をすればいいんだろう?いつかこんなふうに、自分が信じた道だったら、何も考えずに勇気を持って踏み出すことができるんだろうか。自分にもそういう大切なものがあるんだろうか。僕は自分にずっと目的が欲しかった。

作品を作ることで少しそれが見えるような気がしていた。志賀直哉のエピソードは自分を制作に向かわすための勇気になったのだと思う。そうか、そういう作品の作り方もあるのかもしれない。「自分が何者なのか」という同一性への問いは、多くの人が多少は抱えている問題なのではないかと思うが、僕は自分の作品制作を通して、ずっとそういうことが気になっていたのではないかと思った。自分で全く気づいてなかったけど。

先日書いた文章で、「僕は今まで知らなかった世界を少し知りすぎた」というようなことを書いたが、決してあれは悲観的な気分で「ペシミストになってしまったという告白」みたいなくだらないものを書いたつもりはなくて、ある意味あれは自分の世界がかき混ぜられて自分を問われたという意味で、僕に必要な変化だったとは思っている。…ただ、その心象模様を吐き出しただけで、特におもしろいくだりもなく、まとめ方も適当だったので普通に駄文だったとは思う。でも、そういう意味では、今オブジェクトとしての作品を作れなくなった自分が「自分を掘る行為」として、こうして(駄でも良でも)文章を書くことに意味がある。自分が自分のことを書き起こしたあとで自分が何を思うのかという、その表出と受容と反応のプロセスこそ表現の意味になるのではないかと思った。

いつかの記事で「蕎麦を食いたかったがアジフライを食った」みたいな話をしたけど、悩んで悩んだ末にアジフライを食ったことで、蕎麦を食いたかった自分に気づくというのがまさに自分を掘る、ということなのかもしれないとも思った。…まあこの場合、アジフライを食ってしまったために、結果として腹持ち的には蕎麦が食えなくなってしまってはいるものの、作品に関しては書く(もしくは作る)ことでまた新しい展望が見えるわけで、そしたらなんでも良いからとりあえず吐き出した方がいいのでは、という結論になった。自分を掘る行為が自分を本当の願望に近づけさせるのかもしれない、とも思った。質より量である。作品は点を打っていくようなもので、打てば打つほど最終的に自分が思い描いた図像がはっきりと浮かび上がる。

 

…まあ言葉ではなんとでも言えるが、そもそも自分の手がこんなに動かないのは自分が建築をやっていたこともかなり大きいと思う。建築の制作にあたっては「なんでもいいからとりあえず作ってみて考えよう」なんてことはできないのである。だから行為の前に思考することが前提だし、考えないと手が動かせない。たくさんの言葉やスケッチで理屈を作ってからでないと作品に形を与えられない。それは自分の特徴でもあるが弱い部分でもあると思う。なんというかデザイン的だ。本当はこういう「作り方」を模索するべきなのだ。

いや、実はずっと窮屈な感じがして何度か過去にも試みてはいるが、いまひとつ自分の制作のかたちというのを掴み切れていない部分が大いにある。なぜか「作品」を作ろうとしたとたん、建築を学び始める前の幼い自分が自然にやっていた作品の作り方が思い出せなくなる。昔の自分の方が明らかに目的を持ってやっていた。でもそれが作品と呼べるものなのかどうかは疑問だ。

 

こうやって、ああでもないこうでもないと文章を書くこと、頭を働かすことが今一番僕にとって適合する制作の仕方なのかもしれないと思う。自分の中に何か納得できないことや腑に落ちないことがあるから、こうやって文章を書こうという気になるのだ。納得できないことこそ僕の原動力だった。好きだからとかいう話ではなかった。僕はものすごい勘違いをしていた。多分僕に唯一ある欲望は「理解」かもしれない。

自分の脳のこともあって、人のことを知りたいと思うのも、いろんなことを調べたり本を読もうとするのも、ずっとその疑問が心の中にあって分からないままで、分からないままだと僕は世界との接点を持てないからなんだと思う。特に人と話をすることがあんまりできなかった今までの自分と、特に世界に興味も持てなかった自分と、それがある時に少しだけ広がりを見せ、自分の世界のことをとてもおもしろく感じることができたために、理解することに執着しているのかもしれない。これは自分の性格との向き合いでもある。なんとか統合する世界を増やさないと、自分の存在が薄いような気もしてくる。

もっとシンプルに、自分への問いに向き合った方がいいかもしれないと思った。そういえば最近社会学系の本ばかり読んだので、何か目的とかを持って作品に取り組もうとしてしまっていたかもしれない。でも、ちょっと文章を書いたりして、社会のことを批評したり論じたりするのは、完全に自分の仕事ではないと思った。読んでる本の数と理解のレベルが違いすぎる。残念ながら僕は頭が悪かった。でもこれも、やってみて初めてわかったことだ。自分にできることを、もっと深くまでやればいいんじゃん、と思った。やりたいこととできることのバランスが大事だ。とりあえず、僕の文章を待って、読んでくれている人がいるし

 

本当は全然違うつもりがあって読んだんだけど、思わぬ発見があって良かった。ちょっとだけ息を吹き返した感じがする。良い小説でした。